ちとせあめ

なごみ(@higuumi753)07th expansion様の作品について、長文になりがちな考察をメインにアップしていきます。新規情報の追加や新たな視点からの考察の結果記事同士が多少矛盾することもあるかと思いますがお目溢し頂ければ幸いです。

【キコニア心理学的解釈】地獄の底をのぞいたら

※この内容は2020/11/8に頒布した「地獄の底をのぞいたら」の内容をベースに、事実と異なっていた点(※主にひぐらしの設定についての誤認)に加筆修正をしたものです。

大変ありがたいことに再販のご希望も頂いていたため、この度Web再録することといたしました。

キコニアをPhase1時点で心理学的観点から解釈するというコンセプトの内容です。

目次

本論

  • 第1章 はじめに
    • 第1項 「プレイヤーの席は与えない」?
    • 第2項 考察可能なポイントの模索
    • 第3項 キコニアと心理学
  • 第2章 キコニアにおける心理学的人物解釈
    • 第1項 誰の心理を考察可能か
    • 第2項 NPPジェイデンの人物像
    • 第3項 CPPとは?
    • 第4項 ジェイデンの恋心
  • 第3章 「なく頃にシリーズ」としての位置づけ
    • 第1項 三作品の「主人公」
    • 第2項 「第二主人公」のポジション
  • 第4章 おわりに

Appending. キコニアの「魔女」

    • 第1項 キコニアは<地獄>
    • 第2項 ゲーム盤の構造
    • 第3項 うみねことキコニア

 

第1章 はじめに

第1項 「プレイヤーの席は与えない」?

 今作「キコニア(以下、キコニア)」というゲームについて、読者として求められる姿勢は何であろうか。以下に作品紹介を述べる。

いいえ。惨劇に、抗う必要はありません。駒の仕事は惨劇の渦中に踊ること。ゲームのルール? 難易度? 私たちが決めるし、あんたには関係ない。お前たちは取ったり取られたりして、私たちが喜ぶような喜怒哀楽を見せればいい。いいこと? 勘違いしないことよ。お前は私の対戦相手じゃない。私を楽しませる為の、駒に過ぎないの。今度のゲームは、あんたにプレイヤーの席なんて与えない!”(キコニア『ストーリー』)

 前作「うみねこのなく頃に(以下、うみねこ)」においても、作品紹介にGMからのメッセージが掲載されている。

うみねこのなく頃に、ひとりでも生き残っていればね…? 貴方に期待するのは犯人探しでも推理でもない。貴方が“私”をいつ信じてくれるのか。ただそれだけ。推理がしたければすればいい。答えがあると信じて求め続けるがいい。貴方が“魔女”を信じられるまで続く、これは永遠の拷問。”(うみねこ『作品紹介』)

 “魔女”を信じてくれることを期待する、というGMの目的が最初から明らかにされている。

 ならば、おそらくキコニアにおいても、本当に読者にプレイヤーの席は与えられていないのであろう。呼びかけている相手が読者であるという保証も存在しない。「うみねこ」においては碑文の謎というルールが提示され、それを制限時間内に解くことが求められていた。しかし「キコニア」のPhase 1においては何を謎として解き明かせばいいのか明示されていない。まさにプレイヤーの席が与えられていない印象である。

 本論では、「キコニア」Phase 1における描写を慎重に精査し、過去作との比較の観点から解釈することによってこの物語を理解するうえでどのような点に着目していけば良いのかを模索していく。

第2項 考察可能なポイントの模索

 「キコニア」は第三次世界大戦以降の世界(以下、A3W)を舞台にしている。A3Wにおいては、2020年現在では存在しない科学技術が飛躍的に増えている。また、竜騎士07氏が

『キコニア』は、推理や考察を義務化していない作品になっているんですよ”(週刊ファミ通, 2019, p.45)

 と語っている以上、ミステリーとしてフェアである保証はない。「うみねこ」の時のようにノックスやヴァンダインに則っているかという点から考察を進めることは思い込みを助長してしまう可能性がある。

 未来の世界の話であり、科学技術的観点から考察することに限界が生じるとしても、数百年程度では変わり得ないものがある。技術の進歩に対して、ヒトの生物学的進化は数万年単位で緩やかに起こる。すなわち、登場人物の心理学的解釈、ホワイダニットを理解することは、今までの「なく頃に」シリーズ同様有効な手段であると思われる

第3項 キコニアと心理学

 キコニアPhase 1における心理学関連内容として「ストレス」と「多重人格」がある。以下に概説をおこなう。

ストレスに関する概説

 キャラクター紹介Tipsなどから、ストレスはA3Wにおいて重要な並列思考能力の適性をあらわす、P3値に大きな影響を与えることが示されている。本項ではストレスについて概説する。

 「ストレス」とはもともと工学用語でゆがみの状態を示すものである。ゆがみを生み出している原因と結果を包括的に表す概念であり、前者はストレッサー、後者はストレス反応とされている。ストレスはFigure 1のように、個人的変数である「認知的評価」を挟むとする学説が一般的である(Lazarus & Folkman, 1984)。

Figure 1. ストレス・モデル(Lazarus & Folkman, 1984 をもとに作成)

 

 認知的評価とは、個人により異なる、ストレッサーに対する有害性やコントロール不可能性の評価である。同じストレッサーに晒されていたとしても、認知的評価が異なる者同士であれば、ストレス反応のあらわれ方が異なる

 例として「友達にメールを送ったのに返事が返ってこない」という状況を考えてみる。この状況自体はストレッサーである。「きっと忙しいのだろう」「もしかして失礼なことを書いてしまっただろうか」などの判断が認知的評価である。落ち込みや不安の上昇は心理的ストレス反応、血圧の上昇などは身体的ストレス反応、過剰な気晴らしやストレッサーからの逃避などは行動的ストレス反応として考えられる。

多重人格に関する概説

 先天性パラレルプロセッサー(以下、CPP)のことをジェイデンは以下のように説明している。

 “よく知られる多重人格は、脳内のトラウマ情報などを異なる人格を生み出すことでパーテーションで区切り、トラウマの影響を受けない人格を生み出して自分の精神を守る為に起こる、後天的現象である。しかし、極めて稀に、先天的な生まれついての多重人格が発生する。後天的多重人格と異なり、存在する人格が同時に目覚めているのが大きな特徴だ。それは文字通り、1つの体に同時に2人の意識があることになる。2人はそれぞれ別のことを考え、別のことに注視することが出来る。”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

 “多重人格という言い方は当事者を傷付けるとして、現在では先天性PP(パラレルプロセッサー)と呼んでいる……。”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

 しかし、先天性の多重人格などというものは生物的メカニズム上自然には存在しえない。そもそも人格というもの自体が生まれつき存在するものではないためだ。

 人格は心理学用語では一般的にパーソナリティと呼ばれることが多い。辞書的定義は“人の,広い意味での行動(具体的な振る舞い,言語表出,思考活動,認知や判断,感情表出,嫌悪判断など)に時間的・空間的一貫性を与えているもの”(神村,1999)である。パーソナリティの語源はペルソナ(persona:仮面)である。つまり生得的に固定の人格というものが存在するというより、外界の環境に適応するために獲得されていくものであるという考えが一般的であるうみねこ」においても、右代宮理御が右代宮夏妃に受け入れられて育ったカケラとそうでないカケラとでは著しい差が生じていたことを考慮すればイメージしやすいと思われる。

 ゆえにキコニアPhase 1作中内で存在しているCPPによる多重人格の状態は、人間の自然な現象ではない何らかのSF技術により発生した状態か、提示されている情報にごまかしが含まれている可能性が高い。たとえば「CPPとは生まれつき何らかの方法により外的に植え付けられたプログラムである」といった説も採択しうる。そのような仕組みであるならば、「都雄は清廉潔白な人物だが、プログラムとして植え付けられた未知の人格が殺し合いを望んでおり惨劇を起こしている」といった可能性も否定しきれない。そのため心理学的解釈についてはこの章では一旦保留とする。

 ちなみにキコニアPhase 1中でも挙げられていた「よく知られる多重人格」は、正式名称では解離性同一性障害と呼ばれている解離性同一性障害精神疾患の分類と診断の手引(DSM-Ⅳ-TR)』にて、以下のように定められている。

A. 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性またはパーソナリティ状態の存在(そのおのおのは、環境および自己について知覚し、かかわり、思考する、比較的持続する独自の様式をもっている)

  1. これらの同一性またはパーソナリティ状態の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する
  2. 重要な個人情報の想起が不能であり、それは普通の物忘れでは説明できないほど強い
  3. この障害は、物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)またはほかの一般身体疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理学的作用によるものではない

注:子供の場合、その症状は、想像上の遊び仲間またはほかの空想的遊びに由来するものではない”(American Psychiatric Association,2000)

 この疾患は、トラウマティックな体験をした人物がその経験から受けたストレス反応を切り離すこと(解離)が主症状である。人格が複数生じることはその結果に過ぎないパラレルプロセッサーにおいて人格が複数あることが有利なのは並列思考を分担しておこなえるためである。基本的に他の人格が認識していることを主人格が認識できない解離性同一性障害は、パラレルプロセッサーの適性を高めはしない。「トラウマティックな体験をさせて後天的な多重人格にすることによってP3値を高める」といった取り組みは功を奏さないということである(とはいえ、A3Wにおいて実験的におこなわれている可能性は否定できない)。

 本章をまとめると、一般的に「ストレス」とまとめられているものは、ストレス→認知的評価→ストレス反応に区別できる。ストレス反応には心理的・身体的・行動的ストレス反応が存在する。CPPはメカニズム上存在しない疾患であり、何らかの科学技術やごまかしが混入している可能性が高いということである。以上を踏まえて、第2章では現時点で解釈が可能な人物についての掘り下げをおこなう。

 

第2章 キコニアにおける心理学的人物解釈

第1項 誰の心理を考察可能か

 第1章で述べた通り、キコニアの現在開示されている情報と現実の事象のみを照らし合わせてCPPを解釈することは難しい。そしてガントレットナイトにおいて誰がCPPなのか明言されていない以上、動機の考察には制約が生じてしまう。

 ただPhase 1現在、唯一、CPPではないと明言されている人物がいる。ウォーキャットの一人、ジェイデンである。

 ジェイデンは作中でも繰り返しNPPであることが描写されている。先述の通り、後天的な多重人格がP3値を高める道理はなく、記憶を解離しているような描写も乏しいジェイデンは、単一人格のはずである。単一人格ということは、行動や思考に連続性がある人物であると考えられる。そこでジェイデンの行動や思考に関して掘り下げることが、キコニアという作品を理解する上での早道だと考えられる。

第2項 NPPジェイデンの人物像

 NPPであるジェイデンの行動や心理に関しては、SF的な技術を仮定しなくとも説明できる可能性が高い。ところが情報を整理すると、彼は非常に複雑な心理状態であり、かつ脳に重大な疾患を抱えている「信用できない語り手」である疑いが浮上した

ジェイデンの幼少期

 AOUの工場生まれには肉親がいない。それはジェイデンのみならず、ギュンヒルドにも該当することである。ただ、ジェイデンとギュンヒルドでは決定的な違いがある。ジェイデンは幼少期、兄弟と仲が良くなかったのである

【ジェイデン】「最高の成績で、同期や同クラスを次々追い抜いて行って、頂点を極めるのが面白くて面白くて仕方なかったからよ。……兄弟とか、友達とか、……そういうの、全然、考えないまま、ここまで突っ走ってきちまった」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 工場生まれには親の代わりである先生がいるが、十分手厚いケアを受けていたとは言い難いようだ。

【ジェイデン】「実の親って、自分専属の“先生”なワケだろ? それも、自分のことだけを可愛がってくれる」”(キコニアPhase 1フラグメント13『キコニアのなかない国』)

 ところで、ジェイデンが兄弟とうまくいかなかったのは、果たして彼の責任だろうか?

【職員】「私たちの施設では、育成すべき対象を明確にした上でクラス編成を行ない、育成すべき対象に十分な勝利体験を与える為に、クラス環境を完全にコントロールしています」”(キコニアPhase 1第8章『第3の適性』

【職員】「彼女のクラスは、彼女が勝利体験を得られるように構成されています」”(キコニアPhase 1第8章『第3の適性』)

【ギュンヒルド】「あいつらには何も非はねぇよ。ただ、幸せな才能と遺伝子を持って生まれられたのがラッキーつーか。……前世できっと、すっごい善い行ないをしてよ、神様に次の人生はボーナスステージでいいぜーって。……言われたんだろうぜ」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 血縁関係が希薄なAOUの工場生まれは、才能がその後の人生を全て左右する。才能がない者には機会さえ与えられない。兄弟の中で一人だけ突出した才能を持っていたジェイデンは、それだけで同世代から嫉妬される条件を満たしている

【ギュンヒルド】「………都雄。……私は初め、あなたたちのことが、嫌いでした……」

 嫌いというか、嫉妬というか。何の努力も知らずに、常に勝ち続けてきて、当り前のように夢を掴んだ……、苦労知らず。私が、夢に見てうなされるほどに苦労した勉強の数々を、あなたたちは幼少期にゲーム感覚で、とっくに掴んでいる。あなたたちが天才であるだけで、……それだけでどれだけ私が傷ついていたことか。”(キコニアPhase 1フラグメント14『ギュンヒルドと都雄』)

 AOU工場生まれは、才能がない者は這い上がる機会さえ与えられない。だからこそごく少数の才能に恵まれた者は、才能がない者から疎まれることになる。才能あふれる超天才であったジェイデンは、高い社会的ステータスを約束されているに違いないが、金銭的に恵まれていたとしても幸福とは限らない。都雄のキコニア生まれとしての孤独が本人の責任でないとするなら、ジェイデンの孤独も本人の責任とは言い難い。

幼少期と現在の解離

 では、現在のジェイデンは、孤独な境遇で生きてきたような人物に見えるだろうか。

【ギュンヒルド】「まったく悩まないジェイデンと比べて、どちらが人間らしいかは議論の余地がありますですが」”(キコニアPhase 1第15章『騎士団結成』)

【都雄】「大して悩みのなさそうなヤツがよく言うぜ」”(キコニアPhase 1フラグメント9『地震復興クジ』)

 ジェイデンはウォーキャットの二人から、悩みなど何もない楽天家のように思われている。作中のシリアスな場面においてもほとんど笑顔である。幼少期の境遇とあまりにギャップが激しい。しかし注意深く読むと、ジェイデンは自身のことを明るい人物とはとらえていない。

【ジェイデン】「ま、まぁなっ。オタクとかって、ね、根暗そうだしよ……?!」”(キコニアPhase 1第7章『三人の王』)

【ジェイデン】「俺、カッコ付けたくて大嘘ばっかり吐いてた。俺、ゲームとか大好き。漫画も大好き。休日は朝から晩まで引き籠ってるクソオタクでございますっ」(キコニアPhase 1第7章『三人の王』)

【ジェイデン】「うっせぇ。どーせ俺は見た目だけの、コミュ障の残念イケメンだよ」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 総合的に考えるとジェイデンは、自身を「根暗なコミュ障」と捉えている。これは幼少期の境遇と一貫性がある。人格の乗っ取りなど超科学的な出来事が起きて性格がガラッと様変わりしたのではなく多大なる努力を注ぎ込んで明るくふるまっているのが現在のジェイデンと考えるのが妥当である。

 それが最も顕著に表れているのは、Phase 1の中で唯一ジェイデンが一人で行動している、ゲームセンター「ハルマゲドン」の場面だ。他者への信頼が厚く、気さくで明るい人物であれば決して取らないであろう言動がいくつも見られる

【ジェイデン】「……都雄ちゃんめ、……少しは加減しろってんだよなぁ……。あいつの説教は、正論の暴力なんだよ。言い返せねぇから一層……、ああ、ったく……!」”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

実は、さっきからキズナはOFFにしていた。そうでないと、ナーバスな気持ちの時だろうと、どん底に沈んだ気持ちの時だろうと、容赦なくフレンドがコミュニケーションに来てしまう。”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

「……フレ申請はお断りってコメント入れておかねぇとな」”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

 相棒本人に小言のキツさを訴えることも、大浴場の他のガントレットナイトに愚痴ることもせず、一人で気晴らしを行っている。ジェイデンにとって、どうやら深刻な悩みを相談することは大変ハードルの高いことのようだ。その上、赤の他人から必要以上になれなれしく接されることがないように予防線まで張っている。一人で行動している時のジェイデンのふるまいは、「根暗なコミュ障」という本人の主張に沿う人物像である。

なぜジェイデンは「明るくふるまっている」のか?

【ジェイデン】「この世界って、何もかもクソだけどよ。上を向いて歩いてりゃ、結構、楽しいもんだよな」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

【ジェイデン】「ニュースでは、また戦争になるかもしれないなんて、暗い話ばっかりだけど。だからってこっちまで暗くなってたら、世界は真っ暗になっちまうもんなっ」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

【ミャオ】「お兄ちゃんも、もっと笑えばいいのに」

【ジェイデン】「そうすりゃ、世界ももっと明るくなって、幸せになるってのにな」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 自らのふるまいによって、悪い環境のなかでもなんとか幸せに暮らそうとしているような言動である。この考え方を身に着けたきっかけについて、Phase 1から考えられる転機は都雄との出会いである。

【都雄】「人と人の繋がりが、人も自分も変えてくってのはあるよな」

【ジェイデン】「都雄ちゃんだって、俺に会うまでは、だいぶギスギスしたヤツだったって聞いてるぜぇ?」

【ギュンヒルド】「そっくり同じことがジェイデンにも言えますです」”(キコニアPhase 1フラグメント1『仮想体験発表会』)

 都雄とうまく相棒関係を築くために、根暗な部分を隠してことさら明るいふるまいをするようになったと考えると筋が通る。ただし、心から信頼できる仲間を得て“ギスギス”する必要がなくなった都雄と異なり、ジェイデンの“ギスギス”は根深い孤独によるもので、まさに「見た目だけ」を取り繕ったような状態なのである。

 さらに、ジェイデンがおこなっている「努力」は、現在、兄弟に対しても適用されている可能性が高い

【マスター】「他のみんなは、ギュンちゃんのお金のこと、……成功したヤツは奢ってくれて当然、くらいにしか思ってなかった……」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 一時期まで対等な間柄として一緒に育っていたはずのギュンヒルドでさえ他の兄弟から金づるのような扱いを受けているのなら、幼少期に超天才として敬遠されていたジェイデンは、現在兄弟からどのような扱いを受けているのだろうか? AOUアメリカ出身の彼が兄弟の日にわざわざAOU日本においてリアルで会っているのも、非常に不自然である。

【ギュンヒルド】「私の兄弟たちには日本にいる者はほとんどいませんです。なので、今、仮想ルームでやっていますです」

【ジェイデン】「やっぱ仮想ルームでダベるのは楽だよな。身体は疲れねぇし、店の予約とか集合とか連絡とかで、面倒臭ぇ思いをすることもねぇもんなぁ」“(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

【ジェイデン】「……仮想ルームでいくら話しても、リアルで会って話す何かには絶対に敵わねぇ。……早くみんなに会いたいなって思いながら、準備や連絡をするのは楽しいよ」”(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

 この月だけたまたま幹事役だったわけではなく、毎回兄弟の日は、ジェイデンは自らが幹事となっている可能性もありそうである。また、ジェイデンが金銭にあまり頓着のなさそうなことは、モンスターパーティや地震くじのエピソードからも伺える。会食のための金銭的な負担をおこなっている可能性は高い。

一部の兄弟たちと旧交を温めるようになったのは最近だ。それでも疎遠になってしまった兄弟は大勢いる……。ジェイデンは時折、超天才と自惚れて、兄弟たちとの関係を疎かにしていたことを後悔するのだ……。”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 幼少期からあまり快く思われていなかった兄弟との仲を修復するには、多大なる苦労が必要である。

【ジェイデン】「大昔の人は、フィルターなしできっと、失言、暴言だらけだったんだろ? よく、心穏やかに生きていけたもんだと感心するぜ……」” (キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

 つまりジェイデンは、兄弟の日をつつがなく過ごすことに必死で、都雄の変調に気付くだけの余裕がないのである。だが、あくまで表面的には能天気そうに振舞っていることからそれが周囲に気付かれることはない。

 また、周囲から気付かれないだけではなく、おそらく彼は、自らの感情を知覚すること自体に困難を抱えている。

【ジェイデン】「あー……そうか。……下げて下げて下げての最後の、上げてのフォローが今日はなかったから、俺はこんなに凹んでるのか」”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

【ジェイデン】「おいおい……。ナーバスになり過ぎだな、俺。こんなとこまでぼんやり歩いて来ちまったのか」”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

 上記は、訓練で都雄から小言を受けてからかなりの時間が経過した後のジェイデンの言動だ。なのに今のこの瞬間まで自分がなぜ落ち込んでいるのか自覚できておらず、自分が落ち込んでいる度合いにさえ「歩いた距離」という客観的な指標を用いて、他人事のように捉えている

 Phase 1において、ジェイデンは「気づかいが得意な人物ではない」ように描写されている。しかしジェイデンはそもそも、「自らの感情の知覚にさえ鈍感」である感情に関する先行研究から、自らの感情に関する知覚が鈍感である場合、他者に共感することは非常に困難になることが明らかになっている。

他者の行為を自己の運動と同一視するだけでなく、その運動に伴って生じる感情と結びつけられて、共感という機能が実現されることになる”(乾,2018, p.58)。

共感は、他者の行為に伴う心的状態(感情)に関する情報が提供されるという意味で、コミュニケーションを円滑に進める上で重要となり、協調的で向社会的な行動の動機付けにとっても重要となる。”(乾,2018, p.58)。

 共感というシステムは「自らのことのように」考えることで成立する。自らの感情についてさえ知覚できないのなら、他者の感情を理解することはかなり困難を伴う。

 自分ではどうしようもない孤独を抱えていた幼少期のジェイデンにとって、周囲に共感しないことはメリットであったはずである。しかし都雄達と仲間として連携する上では、この性質が自らの首を絞めることになってしまっているのだ。そして感情の知覚が困難であるにもかかわらず、悩みのない明るい人物であると周囲に信じ込ませることができているのであれば、超天才の看板に恥じない明晰な頭脳の持ち主である。

アレキシサイミア

 ジェイデンの状況と非常によく似た、精神疾患がある。第1章第3項で述べた通り、ストレス反応には心理的反応・身体的反応・行動的反応がある。このうち心理的ストレス反応について過度に知覚困難を抱えるのがアレキシサイミアである。

 アレキシサイミアとは、日本語では失感情症と訳される。言葉のイメージから感情が失われた病気を想起されがちであるが、「自分の感情を表現することが難しい」病気である。

 アレキシサイミアについて、以下の特徴がある。

  1. ”自分の感情がどのようなものであるか言葉で表したり、情動が喚起されたことによってもたらされる感情と身体の感覚とを区別したりすることが困難である。
  2. 感情を他人に言葉で示すことが困難である。
  3. 貧弱な空想力から証明されるように、想像力が制限されている。
  4. (自己の内面よりも)刺激に結びついた外的な事実へ関心が向かう認知スタイル。”(小牧,2013)

 1と2に関しては明らかである。4についても、ジェイデンが落ち込んだ時、ゲーセンにいた見知らぬ他者から褒められることでストレスを解消しようとした行動に現れている。

 3については、フラグメント1『仮想体験発表会』の時のジェイデンの挙動に現れている。仮想体験発表会のテーマは「エナジーバーを、一番おいしく食べられるシチュエーション」だった。ジェイデン自身が

【ジェイデン】「このゲームは、趣味とか性格とかバレるから、キッツイんだよなぁ」”(キコニアPhase 1フラグメント1『仮想体験発表会』)

 と言う通り、性格や趣味が反映されたものである。それぞれの願望が現れているシチュエーションである。

何の競技かはわからないが、とにかく、圧倒的なスコアで世界記録を制した。そういうシチュエーションのようだった。”(キコニアPhase 1フラグメント1『仮想体験発表会』)

優勝カップの授与! 最高の栄誉の瞬間だ!! そして、そのカップの中には、1本のエナジーバーが、”(キコニアPhase 1フラグメント1『仮想体験発表会』)

 以上の場面で描写が停止している。ジェイデンは何の競技で勝ったのかさえ設定していない。その上、なんと6人の中で唯一、彼の仮想体験にはエナジーバーを食べる場面さえない

【リリャ】「このシチュでエナジーバーが1本って、むしろショボくて悲しいニャオン」”(キコニアPhase 1フラグメント1『仮想体験発表会』)

【コーシュカ】「どー見ても、普通のショボいエナジーバーだったっぺよ」

【ギュンヒルド】「どー見ても、普通のショボいのだったです」

【都雄】「超天才ジェイデン様、マジセンスねぇな」”(キコニアPhase 1フ

ラグメント1『仮想体験発表会』)

 冗談じみて描写されているが、これはジェイデンの空想力の制限による影響と思われる

 アレキシサイミアにおいては脳の大脳新皮質の一領域である“前島の活動低下”が示されており、脳の疾患とされている(Hogeveen et al., 2016)。前島とは、主観的感情を作り上げる脳の部位である(乾,2018)。そしてジェイデンの脳に異常が発生していることについて、既にPhase 1作中で明言されている

その後の検査で、脳内生成物質及びその受容体に特異な傾向が確認される”(キコニアPhase 1『キャラクター紹介』より)

 2020年の日本において、アレキシサイミアは既に精神疾患として扱われている。ジェイデンの脳が稀有であるというのならまったく同じ疾患ではないだろうが、類似の疾患を疑えるだけの情報は出揃っている。

 ただ、2020年の日本とキコニアの舞台であるA3Wの世界には、大きな違いがある。A3Wでは、ストレスを知覚しないことによりP3値が上昇する。P3値の高さが重視される社会において、ストレスを知覚しないという状態により得られるメリットは多い。そのため疾患ではなく「プラスの個性」として捉えられてしまうのだ精神疾患の一症状としてのみ扱われていたものを個性として活かすことができる、というのは一見よいことのようで、よいことばかりとは限らない。「プラスの個性」として捉えられている限り「治療すべき疾患」として認識されることはない。そしてこの症状には、無視しきれない重大なマイナスの側面がある

 アレキシサイミアにより生じるマイナスの側面を理解するうえで、ことを身体のことに置き換えてみる。無痛症という疾患がある。無痛症患者は、大きなケガをしても痛みを知覚することができない。刃物が刺さった痛みを知覚しなくても、出血そのものがなくなるわけではない。痛みというセンサーが正常に働かなくなっている状態であることから、命を守るために、ケガに慎重になるべきであると言われている

 アレキシサイミア患者の抱える困難は、「無痛症患者」にとっての「刃物」を第1章で挙げた「ストレッサー」に置き換えると理解しやすい。アレキシサイミア患者は、心理的ストレス反応を知覚するセンサーが麻痺している。そのためストレッサーを迅速に知覚できない。知覚できなくてもストレッサーがなくなるわけではない。身体や行動にもストレス反応は現れる。このように考えると、無痛症患者がケガに慎重になるのと同様、アレキシサイミア患者はストレッサーに慎重であるべきなのである

肉体というセンサー

 アレキシサイミアの患者がストレッサーの存在に気付くのに必須のものがある。肉体である

 Phase 1においては「肉体不要論」が提示されている。肉体を捨て魂だけの存在になるということは、身体的ストレス反応や行動的ストレス反応が知覚できない状態になるということである。ジェイデンにとってそれはストレッサーの存在をまったく知覚できなくなることに近いはずだ。

 先述の通り、知覚できなくてもストレッサーという刃物自体は存在する。自分自身で気付けなければ、セルフケアさえできない。本人にも周囲にも知覚されないまま、深い傷を生じさせる可能性がある。たとえば彼が一度肉体を喪失したら、もう一度肉体を取り戻したとして、その間に累積されていたストレッサーは本人が想定する以上に重いものとなるのではないだろうか

【ジェイデン】「マジかよ、ミャオちゃんがそう言ってくれるなら、ミャオちゃんの時にはずっとニコニコ笑ってるぜっ」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 根暗なやつと思われたくない上に、ミャオにこのような約束までしてしまったジェイデンの今後の安否が気づかわれる。

 そして、本項にて挙げたいくつかの特徴(下線部)は、実は過去のなく頃にシリーズにおいて非常に重要なポジションが有していた特徴でもある。過去作との比較の観点については、第3章にて記述する。

第3項 CPPとは?

 本章では、NPPであるジェイデンが複雑なパーソナリティの人物であることを述べた。CPPについては、第1章で述べたように、心理学的見地から分析不能な点が多い。ただ、作中の描写から「ほとんど別人のような人格同士」かどうかに疑問を呈することは可能である

 同じ肉体に宿る異なる人格を“同一人物”として扱うことは、前作「うみねこ」においては望まれないおこないである。しかし、だからといって今作においてもそうであるとは限らない。何故なら、まさにうみねこのLast noteにて、以下のようなやりとりがあるためである

【縁寿】「私は動機の線ではなく。……あくまでも、このピースという魔女の雰囲気やイメージから連想を探していた」”(うみねこ『Last note』)

【ベアト】「フーもハウも、何でもアリの幻想の住人たちには通用しない! しかし、ホワイは違うぞ」

【戦人】「あぁ。フェザリーヌやらベルンカステルにも、犯行は可能かもしれない。しかし、こんな歪な事件を起こす動機がない」”(うみねこ『Last note』)

 縁寿が雰囲気やイメージからピースという魔女を理解しようとするのに対して、戦人もベアトも、雰囲気やイメージだけで同じような人物だと断定するのは望ましくない、と主張していた。つまりうみねこ」に出てきた「我ら」と雰囲気やイメージが似ているとしても、あくまでキコニアにおいてはキコニアの作中の描写と向き合い、CPPという現象と向き合うべきであると思う。そうでなければ、「印象が似た人物だからピースは古戸ヱリカに違いない」という推理とさほど変わりがないことになる。いみじくも、うみねこでの話を重視しようとしたつもりが、うみねこの主要人物たちが否定している行為をしてしまうという罠である。

AOUは重婚禁止

 CPPを「うみねこ」における安田紗代のなかに宿る「我ら」の人格と似たようなものと解釈するのに無理のある、最大の根拠が存在する

【ギュンヒルド】「まるで、結婚願望のある相手に対し、既婚者が独身を装って交際するかのようなアンフェアかもしれませんです」”(キコニアPhase 1第7章『三人の王』)

 既婚者が結婚願望のある相手と交際することがアンフェアであるというなら、「AOUは重婚禁止」である可能性が高い。ジェイデンとミャオの結婚話において「AOUで同性同士の結婚が可能か否か」という観点から語られている以上、CPPであっても精神の性別ごとに戸籍が設けられている可能性はあまり高くないジェイデンがミャオと結婚するということは御岳都雄と入籍することを示していると思われる。

【アンドリー】「つまり。愛し合う二人の意思で、自由に決めていい訳だ。……あんたたちはそういう世界に住んでる。だから、そのルールの中で、精いっぱい恋をしたらいいのさ」”(キコニアPhase 1第7章『三人の王』)

 にも関わらず「結婚は『ジェイデンとミャオの二人』のこと」であるというのだ。御岳都雄の戸籍は一つしかなく、重婚が禁止されている。ミャオがジェイデンと結婚した場合、都雄は誰とも結婚できなくなってしまう。ミャオの結婚は「ジェイデンと二人の問題」ではなく「都雄の問題でもあるはず」なのである。しかし、誰一人都雄の意志を問題にしていない。Phase 1では二人が同性であるかどうかにばかり焦点が当たっているが、前作「うみねこ」において性別などより重要視されていた「魂が一つに満たない問題」が看過されている

 上記については、「CPPにおいて、別の人格同士が異なる人物を好きになることは基本的に生じえない」とすると矛盾がないように思う。「ミャオはプライベートな部分を請け負うペルソナ」で、「都雄は仕事にプライベートを持ち込みたくないタイプ」と考えれば無理なく説明できる。あえて「うみねこ」の例で考えるなら「我ら」より「次期当主の妻としての重責から解放された朱志香の一側面としてのジェシ」に近い印象である。「人格が複数存在するからP3値が高くなる」のではなく、「P3値が先天的に高いため並列思考が別人レベルで分かれてしまうくらい統合されている」というロジックも成立しうる。

 都雄とミャオの人格の切り替えを目の前で見ており、都雄とミャオ両方とコミュニケーションを取っているはずのモンパのマスターも、都雄とミャオを別の人物としてカウントしていない。ギュンヒルドも、その言葉に疑問を持ったり否定するような様子は毛ほども見られない。

【マスター】「羨ましいね、あのアツアツのお二人」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 Phase 1時点においてCPPに関する説明は、ジェイデンの憶測によるものと、「ジェイデンの生来の陽気さ」と語っている謎の第三者(?)視点以外から描写されていない。CPP自身がカミングアウトをして理解されるように努めておらず社会における暗黙の了解のような形で共有されているような描写も幾度となくある。そしてジェイデンは、暗黙の了解を察知できるタイプではない。おそらく矛盾にも気付かないであろう。

都雄の性別は?

 都雄の肉体の性別についてだが、男性である可能性が極めて高い

ははは、あっははははは、やっぱり我が息子はカワイイなぁ。”(キコニアPhase 1第14章『平和の価値と本当の重み』)

【藤治郎】あぁ、もうカワイイなぁ都雄ぉ、また二人で一緒にお風呂に入りたいなぁ~!”(キコニアPhase 1第18章『神のシナリオ』)

 幼少期に裸を見ている藤治郎が一人称視点で「息子」と言っている。もちろん、これだけで断定はできない。都雄が性同一性障害であり、藤治郎は都雄の精神の性別を尊重している……などといった可能性も考えられる。

 ただ、都雄の個人的事情に配慮するとは思えないセシャト・ジェストレスも都雄のことを一貫して「息子」と呼称している

【ジェストレス】「あなたの息子は、第四次世界大戦を食い止める為に戦おうって、友人たちに檄を飛ばしているというのに。その父親のあなたは第四次世界大戦を引き起こそうと、暗躍しているのだから……」”(キコニアPhase 1第10章『世界同時多発紛争』)

【セシャト】「いよいよ始まったねー。……藤治郎の息子、出番あったー?」” (キコニアPhase 1第12章『ギフト』)

 さらに都雄の肉体性別をほぼ間違いなく知っているであろう「母」も、

きっとそれをあなたは、をお母さんの目的の為だけの駒に使うなと、怒るでしょうね……。”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

 と、男子として扱っている様子である。

また、

【ミャオ】お兄ちゃんが、華奢で女みたいな身体って言われるのは、単にお兄ちゃんが運動とかしないからじゃん!”(キコニアPhase 1第6章『人格混同の人権侵害』)

 との台詞もある。「女みたいな身体」という表現は女性に対してはまず使わないだろう。

 Phase 1現在で、容姿が中性的であることとジェイデンの混乱以外に都雄の肉体の性別が女性であることを示す根拠は、一切存在しない。そしてジェイデンの主観は非常に疑わしい

第4項 ジェイデンの恋心

ジェイデンは「都雄が好き」か?

 第3項から考えると、都雄とジェイデンは同性カップルということになる可能性が高い。ならば今後、ジェイデンが同性であることを気にして交際をやめる可能性は生じるのだろうか? しかし、都雄が肉体・精神ともに男性だと思っていた時から、ジェイデンは都雄の誉め言葉を聞いて赤面しそうになっていた

ったく……。男に褒められて赤面しそうになるなよ、俺。”(キコニアPhase 1第1章『国際平和軍旗祭』)

 第2項で述べた通り、ジェイデンは自分の感情の機微に疎い人物である。友情と恋情の明確な線引きができるかどうか大変に疑わしい。その感情が恋だと疑うことさえしない可能性がある

 また、アレキシサイミアのもたらす脳への影響とPhase 1においてジェイデンのとった行動を照らし合わせると興味深い。

 アレキシサイミアにおいて機能が低下するとされている島皮質は、大脳新皮質の一部である。大脳新皮質は外界からの刺激を処理する部位であり、さまざまな感覚に基づいて感情を知覚するのに用いられている。言い換えれば大脳新皮質の機能低下は、さまざまな感覚の処理に影響するのである。

 しかしあらゆる感覚の中で、嗅覚の処理においては、大脳新皮質での処理機能の低下があまり影響しない。嗅覚皮質は大脳辺縁系にあり、視覚・聴覚などが大脳新皮質において処理されるのに対し、大脳辺縁系という本能を司る部位にて処理がおこなわれる(三輪,2015)。

 つまり、大脳新皮質に異常が生じ感情の知覚が鈍くなってしまっているジェイデンにとって、嗅覚は自らの本心を表しているものの可能性が高い。そしてジェイデンは、嗅覚に基づいた行動を取っている

汗だくじゃねぇか。俺のタオル、使うか? うーん、都雄ちゃんの汗はいい匂いがするなぁ、クンカクンカ。”(キコニアPhase 1第5章『フィーア・ドライツィヒ』)

 このことについてジェイデンは、

【ジェイデン】「べッ、べべ別にそれくらいッ、男同士のスキンシップだろ?! ましてや俺とお前は相棒同士……!」”(キコニアPhase 1第5章『フィーア・ドライツィヒ』)

と述べており、自分自身の行動の変容を認識してすらいなかった。行動の変容は、都雄の肉体の性別に関する疑問を持つよりも前である。となると、肉体の性別はジェイデンにとって、「本心では」さほど重大なことではなかったのではないだろうか

【スタニスワフ】「ミャオに恋愛感情を抱いてしまった為、それが無意識に、都雄への接し方を異性に対する接し方に変えてしまったのだろう」

【ジェイデン】「れ、冷静に分析されると……、穴があったら入りたい気分だ……」”(キコニアPhase 1第6章『人格混同の人権侵害』)

との描写があるが、訓練中に直接会っていないスタワスニフは、ジェイデンが元から都雄に褒められて赤面しそうになっていたことなど知る由もない。ジェイデンがミャオを好ましく思ったのがそもそも「今まで褒めてくれていた部分の人格だと思ったから」であることも知らない。「性別が分からない状態で無意識に体臭を嗅いでしまうことまでした」とまで詳細に共有しているかは疑わしい。現にジェイデンの行動は、

【イシャク】「まぁ、とにかく。ジェイデンの悪ふざけが過ぎたことについては謝るにしても」”(キコニアPhase 1第6章『人格混同の人権侵害』)

などとあくまで「悪ふざけ」として捉えられている

【ジェイデン】「そういうもんなのか? むしろそっとしておいて時間を置いた方がいいんじゃないのか?」

【スタニスワフ】「今回の件については、私も彼らの意見に同意だね。これで、君が逆上して無視し出すと、この手のトラブルは大抵こじれるものだよ」”(キコニアPhase 1第6章『人格混同の人権侵害』)

 都雄にクールダウンしてもらうために距離を置こうとするジェイデンに対し、ジェイデンが怒って距離を置いた場合を仮定しているスタワスニフである。この場面、よく見るとジェイデンは友人たちと話が一切かみ合っていない。「基本的な価値観が異なる上に自分のことをよく知っているわけではない人物」にアドバイスを求めてしまったのがジェイデンの混乱の一因である。

ジェイデンはそもそも「女好き」なのか?

 ヘテロセクシャル寄りの男性が男性を好きになることもまああるだろう。ジェイデンはエナジーバーの仮想体験ではグラマラスな美女をはべらせ、フィンランドの美少女コンテストのチケットを所望し、メイドゲーセンに通ったりしている。少なくとも、女の子が嫌いであることはないだろう。ただ、「性的対象として女性が好きである」のかは少々疑わしい。

 「女性相手に性的からかい発言をするが恋愛経験自体が豊富なわけではない人物」として、同じなく頃にシリーズから、前原圭一右代宮戦人が挙げられる。彼らの性的からかい発言がどのような目的でおこなわれていたか、という観点から比較するとわかりやすい

これだけ親しそうに話をしていても、実際にはここに転校してきてまだひと月も経っていない。転校生の俺が解けこめるよう、色々と気を使ってくれているのがよく判った。だから俺もこれ以上、気を使わせないよう、早く解け込む努力をしなければならない。自分でも少々馴れ馴れしいかな、と思うくらいの方が、きっとこの場には相応しいと思った。”(ひぐらしのなく頃に(以下、ひぐらし鬼隠し編

……俺の名誉と正義のために補足しておくが、これは別に、おっぱいを揉まないと首のリンパ腺が異様に痒くなって掻き破ってしまうような奇病に冒されたからじゃないぞ? 俺的なお約束のコミュニケーションなのだ。こんな風に迫るシーンがあれば、十中八九、引っ叩かれたりどつかれたりするだろ? そういうお茶目な展開を狙う戦人さまオリジナルのコミュニケーション術なわけさ!”(うみねこEpisode 1)

 圭一も戦人も、女性とのコミュニケーションを円滑におこなうためにあえて性的からかい発言をしていた。ジェイデンが同じような目的で性的からかい発言をとっていたと仮定するなら、それが最も発揮されるべきはギュンヒルドを筆頭としたAOUのメンバーであるべきだろう。ところがジェイデンは、AOUの女性陣に対してはほとんど性的からかい発言をしていない。Phase 1すべて通して、以下の箇所くらいである。

【ギュンヒルド】「おおおーー。これはすごいです。私たちのホテルのお風呂にしたのですね。アバターなので服が脱げないのが残念です」

【ジェイデン】「別に、裸MODを入れてくれても全然OKだぜー」”(キコニアPhase 1第3章『お疲れ様大浴場』)

 性的からかい発言といえばそうだが、直前のギュンヒルドの発言を受けての軽口の範疇にも思われる。性的からかい発言としては、ギュンヒルドのマヤに関する

【ギュンヒルド】「……男は、あぁいうタイプの女、大好きだからな。私にも、特にオッサンたちに好かれるような魅力が欲しかったぜ。ハハハ」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

の発言のほうが過激な内容である。都雄がPhase 1フラグメント8『お小言禁断症状?』にてスケベだと誹りを受けた時にも、便乗してスケベに茶化したりするようなことは一切していない。それを考慮すると、どうやら周囲の女性とのコミュニケーションとして性的からかい発言をおこなっているわけではないようなのである。

性的からかい発言の意図は?

 遡るとジェイデンの性的からかい発言が生じているのは、「都雄が鈴姬といい感じらしい」ということを認識した場面である

【ジェイデン】「えー! 都雄ちゃん、あーいう子が好みなのかよォ?! 隅に置けねぇなぁ?!!」”(キコニアPhase 1第15章『騎士団結成』)

【ジェイデン】「最近、あのお二人と、それぞれ個別にメールしてたりとかして、へへへへ……」

【ミャオ】「へー。ジェイデン君、あーいうお姉さまタイプが好みなんだァ。隅に置けないねぇ」

【ジェイデン】「え? 都雄、今、何か言ったか?」”(キコニアPhase 1第15章『騎士団結成』)

 次に性的からかい発言が著しく生じているのは、LATOのテロ現場である。この場面において、メールは送信保留でその場で晒され、ミャオにきっちりシメられることになった。

メール送信直前にメール本文を検索し、送信前に再確認をした方がいいと思いまして、メール送信は保留してありますぽよ~! 以下のメールを本当に送信してもよろしいですぽよ? “マジで超セクシーっすよねぇ! お姉様の愛のいっぱい詰まった胸の平和の壁をぜひ支えてあげたいっすー!! 今の爆発、大丈夫ですか? お返事よろしくです!”(キコニアPhase 1第19章『世界同時停戦とテロ』)

 また、07th大浴場2020小冊子でも似たような場面が生じていた。「都雄が代表を可愛い女の子にすべきであるという主張をした場面」の直後である。

【都雄】「フィンランドの美少女妖精、リリャちゃん様とか、あと鈴姬とかナイマとか、えーとえーと!! とにかく映える女の子は他にもいくらでもいるだろう!!」”(『07th大浴場2020小冊子』,p.2-3)

【ジェイデン】「『ひぐらし』もいいけど、『うみねこ』って、グラマラスな女の子がいっぱいでいいよなぁ♪ 特にベアトリーチェなんか最高だぜ♪」

【ミャオ】「そーだねっ♪ ごめんね、ぺったんこでっ♪」

【ジェイデン】「え? 都雄、何か言ったか?」” (『07th大浴場2020小冊子』,p.3)

 上記3つの場面において、ジェイデンは結局、一度も女性相手に直接、性的からかい発言をおこなっていない。2つ目の場面でもメールは、ケロポヨの判断により送信保留となっている。ケロポヨの機能に関してはPhase 1時点で不明な点が多いが、発言にさえフィルターを掛けられることが明示されている以上、文字情報についてのフィルター機能が付いていてもおかしくはない。「誤爆したように見せかけて意図的にメールの内容を晒す」ことは、技術的にはおそらく可能である。

 3つ目の場面では、ベアトのセクシーさに関する発言をしていたにも関わらず、いざベアトと会った時にどのような言動をしていたかというと、以下の通りである。

【ジェイデン】「ん? ……都雄じゃないぞ?」” (『07th大浴場2020小冊子』,p.5)

ジェイデン的には、恥ずかしがって駄々をこねる都雄が見たかったので、ちょっと残念だが、代わりにミャオのエンジェルモート姿を堪能できたので、良しとすることにする。”(『07th大浴場2020小冊子』,p.5)

 ジェイデンはレナ・ベアト・都雄の3人がエンジェルモート姿になっている際、「都雄が恥ずかしがりながらエンジェルモートの制服を着ている姿を見せてくれるかどうか」のみに着目している都雄のいる場面でわざわざ聞こえよがしにベアトがグラマラスだという発言をしておきながら、主観視点においては下心を一切向けていないという、極めて不可解な状況が発生している

 以上の点から、「ジェイデンの発言が圭一や戦人のように女性とのコミュニケーションを円滑におこなうことを目的としたものである」と解釈するのは難しい。

 では一体何が目的だったのだろうか? 今までの共通点として、すべて、都雄の目の前でおこなわれたものであり、都雄が親しくしている鈴姬に関連する話題が出ている場面であった、という点が挙げられる。

 現状の情報のみから説明するのであれば、女性とのコミュニケーションのためというより、「自分が嫉妬している時に都雄にも嫉妬してほしくて全く別のタイプを挙げている」という可能性のほうがまだありそうに思われる。1つ目の場面の“隅に置けないねぇ”というミャオの発言は明らかに嫉妬心を表すものである。それならば、その直前にまったく同じような文言を伝えているジェイデンの発言もやはり「嫉妬心によるもの」であったのではないだろうか。

この恋の障害は?

 ジェイデンが都雄のことを好きであり、都雄もジェイデンのことが好きであり、二人が肉体の性別を気にしないならば、一見何一つ問題がないように思われる。しかしもしもCPPが別人格というほどのものではなかった場合、都雄がある致命的な不義理をジェイデンに対しておこなってしまった可能性が生じる。第3章ではその点について掘り下げる。

 まとめると、ジェイデンは、「脳の変調により感情の知覚が困難になってしまっているがそのことを必死に周囲にひた隠しにしている人物」であると考えられる。そのため彼の感情に関連する主観報告には疑いがある。この仮説に従って読み直すと、一見不可解で一貫性のない彼の言動が格段に理解しやすくなる。

第3章 「なく頃にシリーズ」としての位置づけ

第1項 三作品の「主人公」

ストーリーの構造

 なく頃にシリーズ各作品において、「主人公」とは誰を指すだろうか。この質問に対する回答は、少し意見が割れると思われる。では、「作品の顔となる代表的な人物を3名」選出するとしたら誰を選ぶだろうか。おそらく、ひぐらしからは前原圭一竜宮レナ古手梨花の3名、うみねこからは右代宮戦人ベアトリーチェ・右代宮縁寿の3名を選ぶ方が多いのではないだろうか。

 便宜上、本論では上記3名を第一主人公第二主人公第三主人公と呼称する。

 ひぐらしうみねこも出題編4話・解答編/展開編4話で分けられているが、物語のトーンが変わるのは6話目である。主人公チームのうち主義の異なる第一主人公第二主人公の2名が、対立を経て和解し、それから影響を受けた第三主人公の介入によりその世界における「最善」が尽くされてきた。

 ひぐらしにおいては、罪滅し編第二主人公のレナに異なるカケラでおこなってしまった仕打ちに気付いた第一主人公の圭一が今度は自分が身を挺してでもレナを救おうとして疑心暗鬼の連鎖を打ち砕く。うみねこにおいては、Episode 6でそれまで第二主人公のベアトと対戦していた第一主人公の戦人がベアトの真意に気付き、初めて出題者側に回っている。

 第一主人公の特徴は以下の通りである。

  • 正義のヒーローである
  • 物語序盤から、第二主人公が抱えている悩みを解決するための資質を持っている
  • 序盤では自らの資質を十分に生かしきることができず、表面的な情報に踊らされがちである

 第二主人公の特徴は以下の通りである。

  • 物語開始時から作中コミュニティの悪影響を大きく受けている
  • 生い立ちの影響で深刻な相談ごとが非常に苦手である(相談ごとの苦手さについてはのちの項で詳しく掘り下げる)
  • 精神に変調を来している部分があり、一部の主観が歪んでいる信用できない語り手である
  • バックグラウンドを知らないと異様に見える行動をとる
  • 一度愛着を持った相手には自分が損をしてでも誠実であろうとする
  • 着実な努力をすることが得意であり意志が強い
  • 金銭的に恵まれることでかえって対人関係においてトラブルを抱える
  • 第一印象では悩んでいるようにはまったく見えない
  • 明晰な頭脳の持ち主である

 これらの特徴は、歴代第二主人公であるレナとベアトを比較することによって導き出されるものだが、第2章で掘り下げた限り、どうやら、ジェイデンにも共通するものである

 なお本筋と逸れる余談だが、完全に女性であるレナも鼻血を噴出しながらかぁいい美少女をお持ち帰りしようとし、現世における肉体性別はさておき女性であるベアトもフラウロスを中年男性から女の子に改変して楽しむ程度には「可愛い女の子は愛好している」。

 また、一般論としての冷めた恋愛観が自身の恋愛と甚だしく乖離しているのも第二主人公の特性といえるかもしれない(“背中に乳房のひとつも押し付ければ男なんて勝手に守ってくれる”(ひぐらし罪滅し編)、“「……は! 綺麗事を詩人のように語るなッ!! 愛は肉欲なんだョ体を重ねてしか計れねェんだよ。男どもはお前の雌の臭いに引かれて群がる蛆蝿どもなんだよォ。そんなことも、その歳でまだ理解できねェのかよォオオオォ?」”(うみねこEpisode2))。

 第三主人公の特徴は以下の通りである。

  • 俯瞰のポジションから客観的で冷静な視点を持つ
  • 状況の大幅な改善の機会を得られ真の意味での救いを掴み取ることが可能
  • 最も長期で苦しみを抱えることにもなりがち
  • 第一主人公第二主人公のやりとりから最も影響を受ける
  • クールそうだが根は熱血な気質であり、第一主人公の理念に協調することが多く、第二主人公に対する理解は第一主人公よりも後手に回りがちである

 以上の図式に当てはめると、キコニアにおいてはそれぞれ第一主人公が都雄、第二主人公がジェイデン、そして二人から最も影響を受ける第三主人公はギュンヒルド・グスタフソンである可能性が高い。

第一・第二主人公の関係性

 第一主人公は今までも第二主人公との主義主張の対立を乗り越えることで資質を正しく発揮してきた。最終話時点での二人の関係性は「今までも・性別を問わず・相棒のような存在」であった。

 今回の場合、都雄とジェイデンは最初から対等な相棒を名乗っている。しかし、よく情報を精査してみると、現在、彼らは歴代随一に対等な関係性が保てていない。それはほとんど、都雄自身のジェイデンに対する態度に起因する問題である。

御岳都雄のジェイデンに対する「不義理」

 都雄は問題の少ない優等生的な人物であるように見える。しかし、第1話から既にジェイデンに対する多大なる不義理があらわれている。

 それが最もはっきり描写されているのはPhase 1フラグメント12『兄弟の日』である。都雄が寂しい思いをしたのはそもそもジェイデンのせいではなく社会構造のせいである。また、都雄が素直に「寂しいから会話に付き合って欲しい」と言っていたなら、本人に汚点がないのだからあそこまでやきもきする必要も生じなかったであろう。ジェイデンには非のない話なのである。そしてギュンヒルドが

「そういうことにしておけば、しおらしく都雄が謝って、おしまいではありませんですか。その上、以後は都雄の送ってくるお小言メールも、幾分、言葉遣いが優しくなると、一石二鳥です」”(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

「……よければ、こういう時のメールのコツ、ご教授しますですが?」”(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

 と少々ズルい提案をしているが、

【ジェイデン】「……最初のメールだけは、俺の文章で送りたい」”(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

 と、都雄に真摯に向き合おうとしている。

 ジェイデンは、兄弟と会う時にフィルターを掛けたりデートで取るべき行動を人に訊いたりするほど、自分の態度や言葉選びに自信が持てない人物である。それは自分自身の感情がわからないという、脳の疾患によるものである可能性が高い。兄弟の日にさんざん兄弟に気を使っていた可能性が高いことも考慮すると、疲弊してもいただろう。

 対する都雄は、ジェイデンに対して同等のものを返せているだろうか?

【都雄】「……あの、……ばぁーーーーーーーーーーーーーーか……」

そのまま、まどろみに落ちていく都雄。でも、その表情は、……少し、緩んでいた。”(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

 都雄がぶつけた寂しさは、ジェイデンから適切に受け止められた。にも関わらず都雄は、ジェイデンに何一つレスポンスを返すことなく寝落ちしてしまっている。この場面、ジェイデン側からみて、ただの寝落ちによる既読スルーであることを判断できる材料が揃っていない

まだ就寝にはだいぶ早い時間だ。”(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

【ジェイデン】「都雄ちゃんは、メールとか返事とか、そういうのがすっげぇマメだからな」”(キコニアPhase 1第19章『世界同時停戦とテロ』)

 ジェイデンは、この時そもそもどんな心境だったかと言うと、

【ジェイデン】「まぁ、許しはしねぇだろうなぁ……。きっと、今日一日分の落ち込みを、全部、大爆発させてくるだろうなぁ……」”(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

 と、メッセージを読んだ都雄が自分に対して怒るだろうと予測していたのだ。自分がメッセージを返さなかったせいで都雄を怒らせてしまい、返事を返してくれなかった、と捉えるのが自然のなりゆきである。

 つまりジェイデンは気づかいが苦手であるにも関わらず最大限の力を振り絞って都雄に接そうと尽くしており、都雄は気づかいが得意であるにも関わらず甘えて雑に接している、という、非常にアンフェアな関係性になっている。しかもジェイデンはおそらく、今まで甘えられる人間がいなかった可能性が高い。雑に接していることこそが甘えであるということを理解するのは、彼にとってかなり難易度が高いだろう。

 その点を踏まえて本編を見直すと、一見かわいらしい都雄の「ツンデレ」言動には、非常にまずいものが何度も顕著に表れている

【都雄】「うっせ。お前とはもう二度とバトルしてやんねー。今度からは壁に俺の写真でも貼ってひとりでやれ」”(キコニアPhase 1第1章『国際平和軍旗祭』)

【都雄】「うううううっせぇなぁ! 触るな、ベタベタと! お前、キモイ!! また俺のこと、女扱いしてるだろ?!」

【ジェイデン】「し、してねぇよっ。この程度、男同士なら当たり前だろっ」

【都雄】「いいや、男同士って感じじゃなかった、キモかった! 絶対に俺のこと女扱いしてたッ!」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

【都雄】「その手があったな。俺もジェイデンがウザい時はブロックしてみるか」”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

 本当にどうでもいいと思っている相手になら、拒絶的な態度をとることは問題がない。しかし、都雄は本音では、ジェイデンのことを大事に思っている

【都雄】「ちぇ。俺の相棒の適性、お前はCくらいだからな」” (キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 との言葉とは裏腹に、本心では

【都雄】俺ってヤツは、誰かに茶化されないと、いっつも悪い気分を払拭できない。なるほど、だからジェイデンみたいなヤツが相棒にぴったりなのか”(キコニアPhase 1第22章『第2次世界同時停戦』)

 と述懐している。大事に思っている相手に対して心にもない攻撃的な言葉を向け続けているのは、単なる都雄の甘えである。都雄が信頼している相手にこそ甘えて突き放したような態度を取ってしまう性格をしていることは、父親である藤治郎に対する態度からもうかがえる。

【都雄】「う、うぅ、うっせぇよ! 何だよ、たまに少し父親らしく頼ってやろうと思うといつもこれだ! もう二度とメールしねぇ! お休み!」”(キコニアPhase 1第14章『平和の価値と本当の重み』)

 ただ、親であり一方的な甘えの許される関係である藤治郎とは異なり、都雄自身が主張していた通り、ジェイデンとは対等な関係のはずである。対等なはずの相手に一方的に自分の寂しさを押し付けて振り回すことは、非常に不義理である。まして、ジェイデンが感情の知覚に困難を抱えているのであれば、そっけない行動の裏側に好意がしっかり存在するかどうか確認を求めることは継続的な負担を強いる行為である。

 ジェイデンが都雄と関係性が盤石で揺るぎないものだと信じて都雄の行為を許容しているのであればそれは本人達のコミュニケーションスタイルのあり方の一つである。都雄自身は、揺るぎないものだと信じているからこそジェイデンにそういった態度を取っているのだろう。しかし、ジェイデンは果たして二人の絆を心から信じられているのだろうか?

都雄の負け惜しみも本心ではない。そういう体で絡んで、遊んでいるだけだ。だからほら、都雄も笑っている。”(キコニアPhase 1第1章『国際平和軍旗祭』)

「とかいいつつ、俺とやりあった後の波形データは絶好調だったじゃねぇかよ。過去グラフとの比較、送るか? 不貞腐れながらも、尻尾をぶんぶん振ってるグラフだぜ?」”(キコニアPhase 1第1章『国際平和軍旗祭』)

 ジェイデンは都雄との信頼関係を心から信じているわけではなく、その時その時の反応に注意を払っているようにもみえる。それでも、都雄は厳しいことを言うだけでなくしっかり褒めてくれていた時もある。だから今までは大きな問題が生じなかったのである。

 ところが、ミャオの存在が問題を発生させてしまった。

【ジェイデン】「……いつも、俺のやる気を引き出す為に、俺のことを見てて、褒めてくれていたのは、お前だったんだな。……ミャオ」”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

 今までジェイデンは都雄のことを、キツい言い方もするけれど必ずいいところも見つけてくれる人物だと思っていた。だからこそ、キツいことを言っていてもそれはただのツンデレに過ぎないし嫌われているわけではないと判断することができたのだろう。

 では好意を寄せている人物の「自分に対して肯定的な言葉をかけてくれる部分のみ別人格であった」と言われたらどのように感じるだろうか? 「都雄はずっと自分に対して冷たい態度を取り続けていた」ことになってしまわないだろうか。突き放されたようなショックを受けてもおかしくはない。

【ジェイデン】「やめろよ都雄ちゃ~ん! そんな寂しいことしたら、俺がダイレクトに来て、ウザ絡みしてきてもっと面倒臭ぇだろ~?」”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

 ジェイデンには自らの行動の変容の理由が分からない。女人格であるミャオの存在を知ったから行動が変わった、という割にミャオに対して終始紳士的に接していることや、肉体の性別をさほど気にしていないことには無自覚である。ミャオの登場で「都雄にブロックされた」ような気持ちになってしまったことが都雄への態度の変化の理由、という理屈も通るように思われる。

都雄とジェイデンの間に生じうる危機

 ジェイデンはPhase 2にて都雄から強い拒絶を受けることが予想される

【ジェイデン】「え、あ、そうなの? お前の口からいいこと言ってくれる時はみんなミャオちゃんの言葉だと思ってたぜ」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

なぁ都雄ちゃん……お前が望んでた世界なんだぜ? それを、どうして拒むんだよ……?”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

 都雄との関係性に不安を感じている兆候がみられるこの状態で、強い拒絶を受けたらジェイデンの心境は相当厳しいものになるのではないだろうか。

 ミャオの存在がどのようなものなのかはPhase 1からは判然としない。しかし、今まで褒めてくれていた都雄が、たまたま同じクラスに振り分けられただけのクラスメイトと同レベルで別人格である、というのは第2章第3項でも述べた通り、かなり疑義がある。悪いところを指摘するにしろ良いところを褒めるにしろ、相手を観察しないとできないことである。それらは表裏一体で不可分なものである。どちらかだけが完全に別人格ということはあまりありそうにない。

そして最後にしっかり、……全員の良いところと、今回の訓練で良かったところを指摘して褒める。……(中略)……ギュンヒルドは思う。彼のこの面倒見の良さこそが、彼の一番の良さ。そしてそれはやはり、……キコニア生まれだからこそ、養われたものではないかと思うのだ。”(キコニアPhase 1フラグメント14『ギュンヒルドと都雄』)”

 以上から、都雄からジェイデンに対する不義理は「恥ずかしがって好意を誤魔化し続けたせいで相手を傷つけてしまう」という性質のものと考えられる。

第2項 「第二主人公」のポジション

第二主人公と相談の3段階

 第一主人公第二主人公の間には対立が生じがちである。その理由の一端として、第二主人公が深刻な悩みを抱えた時に他者に適切な手段で共有すること、即ち「相談ができない」ことが理由として挙げられる。

 相談に必要なスキルは、心理学において大きく分けて3段階に分けられている(Figure 2)。各段階と第二主人公の抱える問題、そして第一主人公の得意分野を考えると非常に興味深いことがわかる。一言に「相談ができない」といっても、段階が異なるのである。かつ、第二主人公の抱える悩みを解消してきたのは第一主人公がもともと持ち合わせていた資質である。

Figure 2. 相談スキルの3段階(高木,1997をもとに作成)

 3rd stageは、「援助要請スキル」である。1st stageの「問題への気づき」および2nd stageの「援助への接近」はおこなえている。この状態は「ひぐらし」の第二主人公であるレナに合致する。レナは罪滅し編で追い詰められた際、学校に立てこもりをおこなうという不適切な手段によって自らの疑心暗鬼を訴えかけた。そして「ひぐらし」の第一主人公である圭一は、「説得」が得意な“口先の魔術師”である。圭一の命懸けの「説得」により、レナは冷静さを取り戻すことができた。そして罪滅し編を経た皆殺し編での圭一は、仲間の危機にも暴力的な手段に頼ることなく「説得」できるようになっていた。

 2nd stageは「援助への接近」である。第1段階の「問題への気づき」はおこなえている。この状態は「うみねこ」の第二主人公であるベアトに合致する。ベアトは、自らの境遇をみすぼらしいと感じていた。誰かに自分のことを理解してほしい反面、分かりやすくあけすけに言うことはためらわれるような状況にまで追い込まれてしまった。そして「うみねこ」の第一主人公である戦人は、「共感」が得意な、相手の立場に立つ“チェス盤思考”の持ち主である。もともと戦人が右代宮家を離籍したのも留弗夫が明日夢を裏切っていたことを想い、亡くなった明日夢に「共感」を示したためである。「うみねこ」の悲劇は戦人が離籍したことが一因である。しかし皮肉なことに、戦人が既に亡くなった人物相手にでさえ強い「共感」を示すことのできる人物でなければ、ベアトの想いに応えることも、縁寿に対してゲーム盤を通してメッセージを伝えることもおそらくできなかったはずである。

 1st stageは、「問題への気づき」である。この状態は「キコニア」の第二主人公であるジェイデンに合致する。ジェイデンに必要なものは、何であろうか。もはや自ら悩みを感じ取れないほど感情が麻痺してしまっているとしたら、外側から読み取るしかない。ここで「キコニア」の第一主人公である都雄の得意なことを見直してみる。

<僚機観察(S)>敵以上に僚機の動向を厳しく観察している。実戦では常に味方との連携を意識でき、訓練では終了後に味方にタップリのダメ出しをすることが出来る”(キコニアPhase 1キャラクター紹介Tips)

【ジェイデン】「でもよ。……本当に、よく見ててくれるんだよな」”(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

 都雄は高い「観察」のスキルを持っていることが示されている。「観察」は問題への気づきが不可能な人物を助けるのに相応しいスキルである。

 そして高い観察力を持つにも関わらず、現在、都雄は表面的なカッコよさなどに対する理解に留まっている。

【都雄】「へぇ。……すっげぇ。これ、ブラウン管テレビ?」

【ジェイデン】「外側だけだろ?」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

 このやりとり、見た目で判断しがちな都雄と、見た目を取り繕っているだけだと思い過ぎているジェイデンを示唆している。都雄は現時点では物事の背景にまで考えが至っていない

【藤治郎】「考えろ。常に考えるんだ。考えることを決して、諦めるな。……どんなに、訳がわからないことになっても」”(キコニアPhase 1第10章『世界同時多発紛争』)

 藤治郎の指摘は非常に的を射ている。

青色?

 という色は、なく頃にシリーズにおいて重要な色である。

ひぐらし」にて、「」と「」はそれぞれ圭一とレナを指す色である。

俺は魅音と同じ話をした時、少し感情的になっちまったが、レナは違う。その炎が静かで青いから、一見、俺みたいな燃え盛る真っ赤な炎より見下してしまいそうになるが、…実際は逆だ。青い炎の方がずっと温度は高い。レナと話していると、俺の中の無意味な粗暴さが落ち着き、冷静に最善手を模索できる気がする。……そんな部分からレナの力強さを感じ取れるのだった。”(ひぐらし皆殺し編

 「うみねこ」における戦人とベアトには、それぞれ戦人が青、ベアトが赤としてイメージカラーを用いられることもある。しかし、「うみねこ咲」OPムービーを参照すると以下のような文言がみられる

霧の晴れたこの空で 繰り返すの儀式

 上記ムービーでは戦人が赤ベアトが青である。さらに竜騎士07氏による原作ゲーム「うみねこ」EP 1からEP 4までの各OPムービー、EP 5・6『オカルティクスの魔女』、EP 7・8『霧のピトス』と、それぞれ戦人が色をまとっている時は必ず赤が使われており、ベアトは概ね金、一度だけ紫を使われている。原作のOPにおいてベアトが赤を使われている場面は一度もない(「うみねこ咲」OPムービーでは戦人と共に赤を用いている場面なら存在する)。青字の登場もEP 4からと遅い上に、EP 5ではヱリカが登場し、彼女によって用いられる場面のほうが多い。即ち、戦人の専用カラーとして青が使われた時期は実は非常に短い。戦人が青字を、ベアトが赤字を使っている場面が多いとしても、二人のそれぞれのカラーは「」であることを改めてOPにて示したものと思われる。

 そして三作目である「キコニア」のOPにて、都雄が赤色ジェイデンが青色という意味づけをされている。

爆ぜた摩天楼の影 背後幾億の使徒 助けなんて要らない

の場面では、二人はそれぞれ赤い光青い光にて示されている。また、冒頭の軍旗祭前に二人がバトルをする場面では、都雄が赤の背景ジェイデンが青の背景にて提示されている。

 なお、第一主人公第二主人公においては、「二人での一騎打ちのバトルシーン」も、かなり印象的に行われてきた。そして、堅実な努力家でありどこか振り切れているところのある第二主人公は単純な戦闘力だけであれば第一主人公よりも<強い>。特殊な事情がない限り、第二主人公が勝利する場面が多いのである。キコニアPhase 1において、都雄・ジェイデンがバトルをする場面は「軍旗祭前」「ミャオに会う直前」「ミャオに会った後」「ボクシングの場面」が挙げられるが、ジェイデンが行動に変調を来し普段の調子を出していない「ミャオに会った後」以外、3対1でジェイデンが勝利している。ジェイデン自身が事あるごとに都雄の才能をほめたたえているため目立たないが、一騎打ちにおけるジェイデンの勝率は高い

代表としての役割

 第二主人公の共通項は、第一主人公同士よりも多い。にも関わらず、彼らの印象は特に似てはいない。「パーソナリティが似ている」と説明するには激しく違和感が生じる。

 第二主人公には共通項が多いものの、彼らはそれぞれに所属する社会からパーソナリティ形成時点で大きな影響を受けている。必然的に、彼らのパーソナリティは作品そのものの印象とそれぞれ似ている第二主人公は、作品のテーマや問題提起を掲げる代表のようなポジションであると言えよう。

 ひぐらしにおいては、過去の経験から疑心暗鬼に憑かれてしまった第二主人公・レナが、第一主人公・圭一の疑心暗鬼を解くために行動するのが一話目である鬼隠し編の大筋である。圭一がその記憶を罪滅し編で思い出すことができたからこそ、レナの疑心暗鬼が悪化して助けが必要だった時に適切な行動をとることができ、その行動が第三主人公・梨花の心境を変えるに至った。そして梨花によって、誰も死なないカケラに至ることができた

 うみねこにおいては、過去の経験から魔法に頼らざるを得なくなってしまった「魔女」である第二主人公・ベアトが、第一主人公・戦人に魔法を理解してもらうために行動するのが出題編の大筋である。戦人が「物語に込めたメッセージ」を理解したからこそ、ベアトのために魔術師として物語を紡ぐに至り、第三主人公・縁寿が完全なる天涯孤独に陥った時に彼女のためにもまた物語を紡ぎ、縁寿は魔法を理解した。そして縁寿は、自らを魔法で救うすべを身に着け、かつての自分やベアトと似た境遇の孤独を抱える子供達にもそのすべを「物語に込めたメッセージ」により伝える魔女となった。なお、「共感」は自身がしなければ意味のないものである。プレイヤーに第一主人公並みの「共感」の能力が求められる点からうみねこの作品構造は非常にハードルの高い理解を求めるものになっていると思われる。

 キコニアという作品の大筋は、どうだろうか。Phase 1の時点でのキコニアの印象として読了後、最も多く聴き及んだのは、「地獄。何をどう考えればよいのかさえ分からない」であった。そしてジェイデンは、過去の経験から細かな機微がわからなくなり、苦しんでいる時にその自覚すらできなくなってしまった人物とみられる。ひぐらしうみねこ同様、作品の印象と人物の印象が一致する。この「よくわからない苦しみ」を解き明かしていくことこそが、キコニアのテーマになっていくのではないだろうか

 ちなみに本章における考察が全て合っていた場合、07th大浴場2020小冊子にて都雄が言っていた台詞にはかなり問題があったことになる。

【都雄】「レナにベアトなんだろ?! キコニアを代表する可愛い美少女を選出すればいいじゃねぇかよ! 何しろ、キコニアはキャラが多いんだからよ、女キャラみんなで、代表権を巡って血で血を洗うバトルをすればいーじゃねぇかよ!!」”(『07th大浴場2020小冊子』,p.2)

 上記は、あくまで都雄自身が恥ずかしい思いをしたくないという理由から出た言葉にすぎない。にも関わらず「なく頃にシリーズを代表するレナやベアトのようなポジション=第二主人公は性別が女性でなければならない、選び方は適当でいいし誰でもいいけど女性でなければそもそも資格がない」と言ってしまったに等しい。それに対するジェイデンの返答は、下記の通りである。

【ジェイデン】「もし俺が負けてたなら、俺はポスターの代表になる覚悟がちゃんとあったぜ!」”(『07th大浴場2020小冊子』,p.3)

 ジェイデンは都雄を代表に推し進めていた。代表の座にこだわっているわけではないだろう。ただレナやベアトのようなポジションとは、「第一主人公の相棒的存在」も兼ねている。そのことをもし漠然と理解しているのであれば、ジェイデンにとって最悪の状況は、都雄の提示したいい加減な方法で選ばれた人物がキコニアの代表になってしまうことだっただろう。代表として推挙したのは都雄だがポスター自体にはちゃっかりジェイデンも出ている。更に、「好意を寄せる第一主人公をゲームで敗北させて恥ずかしい思いをしているさまを見て喜ぶ」という行動も、別の意味において非常に第二主人公らしいものであった。

【レナ】「圭一くんがエンジェルモートの服を着せられると、すっごく反響が良かったけどなぁ……?」
【ベアト】「圭一は似合うからなぁ。戦人は肩幅があるせいか、どうにも似合わん。というか、戦人は全裸がユニフォームでな。クッヒッヒ!!」”(『07th大浴場2020小冊子』,p.4)

【ギュンヒルド】「レナさんとベアトさんでは役者が違いますから。都雄1人では、なかなか言い包めるのは難しいと思いますです」”(『07th大浴場2020小冊子』,p.5)

【ギュンヒルド】「さすがは、都雄のバディです。都雄の魅力を、誰よりも知り尽くしていますです。クスクス」”(『07th大浴場2020小冊子』,p.6)

 まさに「都雄とレナ・ベアトでは『役者が違い』」、そして「ジェイデンは『第二主人公の先輩達と同様』、『第一主人公の』都雄の魅力を知り尽くしている」のである。

 また、歴代第二主人公であるレナとベアトとのコミュニケーションに関しても興味深い描写がなされていた。二人と会話をしていたのは主に、都雄である。ところが都雄はうまくコミュニケーションが取れていたとは言い難い

あくまでも、レナとベアトに、自分にエンジェルモートは似合わないから、ガントレットナイトの姿で行かせてくれと交渉する為だ”(『07th大浴場2020小冊子』,p.4)

 という志を持っていたはずなのに、都雄はレナとベアトに自分の意見を提案することさえ出来ないまま、勢いに押し流されてしまった。対するジェイデンは、意図せず協力まで得ている

ジェイデンが駆け出していく先には、……(中略)……ミャオはとても嫌がったが、意地悪そうに笑うベアトが後押しをして、強引に決まったようだった”(『07th大浴場2020小冊子』,p.6)

 まとめると、都雄とジェイデンの関係性は今までのなく頃にシリーズと同様に重要な意味を持つものである可能性が非常に高い。また、「説得」や「共感」が重要であった姉妹作に対して、「観察」により表面的には問題がないように見せかけられている出来事の真の問題点を解き明かしていくことが求められていくと思われる。

第4章 おわりに

 本論では、解釈可能性の高いNPPであるジェイデンの心理学的解釈を足掛かりに『キコニア』のテーマに関して掘り下げた。その結果、『キコニア』のテーマは「認識しづらくされている苦しみを解き明かす」という点にあるのではないかという結論に至った。A3Wにおいては8MSやキズナなど、便利ではあるが使用している本人達にも仕組みのわからないテクノロジーが多く存在する。また、第三次世界大戦についての記録が抹消されている、8MSや新型地震のメカニズムについて一切不明であるなど不審な点が多い。Phase 1時点ではワールドリセットカルトや黙示録や大戦など華々しい問題が提起されているものの、その裏でひっそりと地球を蝕んでいる病巣に向き合うことが求められていくのではないかと思われる。

 勿論Phase 1時点で明らかになっている情報のみを取り上げたものであるため、Phase 2以降で情報が追加されることにより仮説が根本から否定されることもあるだろう。今後のPhaseにおいて、どのような展開が待ち受けているかを期待している。

Appending. キコニアの「魔女」

 心理学的解釈というメインの主題からは大幅に逸れるため本論には含めなかったが、『キコニア』を解釈するための補足資料を最後に添付した。

 実は、最初に抱いた疑念は、「ジェイデンという人物はキコニアPhase 1においてGM、即ち『魔女』の役割を担っているのではないか?」という問いだった。そして第一印象では「今までの07th作品でもよく出てきた気さくな明るい少年」のように見えたジェイデンという人物の発言や行動について精査し、『魔女』たりうる資質を持っていることを確認したのが、本論である。

 男性である人物を「魔女」を称するべきか否かという点に関しては文化的見地から議論の余地がある。ただ竜騎士07氏が男性を「魔女」と称する可能性については、明確に肯定することができる。トライアンソロジー竜騎士07氏担当パートにて、下記のような記述がある。

結局、……幹彦が”魔女“に堕ちる前に、友達がいたことが、彼を救うこととなったのだ”(トライアンソロジー

 トライアンソロジーの登場人物である稲葉幹彦は、精神・肉体とも男性であった。その幹彦が「魔女」と称されるのであれば、性別とは無関係に「魔女」と呼ばれうると言えよう。

 この章では、筆者がいかにして「ジェイデンは『魔女』かもしれない」という疑念を抱くに至ったか、その過程を記述する。

第1項 キコニアは<地獄>

コキュートスの千年の<地獄>

 うみねこにおいて魔女といえば、第二主人公ベアトリーチェである。彼女の名前がダンテ・アリギエーリによる『神曲』の煉獄山の山頂にて待つ永遠の淑女ベアトリーチェから取られていることは、Episode 5にて明言されている。そして彼女は主人公である戦人を千年待ち続けた魔女でもある。

 ところで、キコニアPhase 1において、<煉獄>の頂点に対して対になるような<地獄>の底についての描写が既出である。

……それはひょっとしたら、……本当の本当の奈落の底、……ひょっとしたら地獄の底にさえ届く深淵に繋がる、巨大なハッチに見えた。”(キコニアPhase 1第8章『第3の適性』)

螺旋階段の終点は、巨大なリング状のキャットウォークになっていた。”(キコニアPhase 1第8章『第3の適性』)

 『千年タイムカプセル』は、<地獄>の最下層、「氷地獄」コキュートスとまったく同じ構造をしている。

【フィーア】「残された翻訳を読んだ限りでは、厳密には千年後へのタイムスリップというより、千年間、内部の時間を停止させるもののようですわ」”(キコニアPhase 1第8章『第3の適性』)

【セシャト】「…………あれあれ。意外にカワイイ寝顔だねー」

【セシャト】「まさか、無責任に。千年間も眠り続けるつもりー……?」

 千年眠り続けることなど生身の肉体には不可能である。そして、セシャトが寝顔を観ているというなら、肉体自体は失われていない。現実的なところで考えて、『千年タイムカプセル』の正体は高性能なコールドスリープマシンではないだろうか? 『氷地獄』であることとも符合する。

 千年タイムカプセルとコキュートスを関連づける情報は、作中ではまだほとんど取り上げられていない。しかし、コキュートスに関しては、明確に描写されている

ダンテの神曲における地獄界は、その罪の重さによって、より深い階層で罰せられることになっている。その最下層、コキュートスが咎める罪は……、裏切り。”(キコニアPhase 1第19章『世界同時停戦とテロ』)

 また、『キコニア』のOPの2番に、以下のような歌詞がある。

凍り付いた魂 償う左手で 放てッ

 左手はセルコンのパッチを取り付ける腕として描写されている。現在のところそれ以上の意味づけは付与されていないように見える。しかし実は、既に“左手”という意味を付与されていそうな人物がいるのである。それが本論で取り上げた、ジェイデンである。

 フラグメント読了後に閲覧可能なジェイデンのキャラTipsに、次のような記載がある。

<ウォーキャットの両爪(SS)>彼と都雄の二人掛かりによる飽和同時攻撃は絶大という言葉も生温い。ただし都雄曰く、無意味なオーバーキルで、別にジェイデンまで一緒に撃つ必要はまるでないとのこと。”(キコニアPhase 1キャラクター紹介Tips)

 ジェイデンが左手ということこそ明示されてはいないものの、都雄と“右手”に関する描写は印象的に現れている

【都雄】「この右腕が恨めしいーっ。ノコギリ! 切断する! そしてロケットパンチに付け替えるーっ!!」”(キコニアPhase 1第1章『国際平和軍旗祭』)

【都雄】「……くっそぉぉぉぉ……。ノコギリ! チェーンソー! この右腕、切断する! ロケットパンチに改造するんだーー!!」”(キコニアPhase 1第6章『人格混同の人権侵害』)

 都雄とジェイデンで合わせて両爪で、都雄が右手なら、ジェイデンは左手であろう。OPの2番の歌詞は、

キコニアの羽もがれて 僕らは生まれ落ちたけど

 から始まる。肉親の庇護を受けずに育った工場生まれのジェイデンは、「キコニアの羽をもがれて生まれた」という形容が相応しい。OPの2番の歌詞がジェイデン視点である可能性が高くなる

 また左手は、キリスト教においても重要な意味を持つ。神の右手・ミカエルと対になる、神の左手・ルシファーという天使がいる。このルシファーとは、神に反旗を翻して堕天してサタンとなる。そして神曲』においてサタンの居場所は、コキュートスである。黙示録においても『地の底で千年サタンが眠る』とされている。氷地獄のコキュートスを模したコールドスリープ装置にて千年間「左手」を冠する人物が眠ろうとする、というのは、『神曲』にも『黙示録』にもぴったり符合する展開のように思われる。更に、「千年煉獄山の頂点で待ち続けた魔女」の話である「うみねこ」の後継作である「キコニア」において、「千年地の底で眠り続ける魔女」という対比の構造は美しい。

 因みに黙示録におけるサタンの役割とは、神に成り代わろうとすることである。キコニアにおいては「神」が人間を滅ぼそうとしているとされている。つまりサタンという意味づけをされる人物がいるとすれば、人類滅亡の首謀者ではなく、そのシステムを乗っ取ろうとしている人物を指すと思われる。

第2項 ゲーム盤の構造

信用できる情報は何か

 キコニアにおいては、一人称視点現実を装飾するものとして仮想体験・フィルター・アバターなどが挙げられている。これらは全て他人に対して見せるものである。また、キコニアのGMはプレイヤーを想定していない。「うみねこ」においては、一人称視点に意図的な嘘が混ぜられていた。一人称視点を偽るのは、プレイヤー(読者)を想定しているためである。プレイヤーに席を与えないということは、裏を返せば「一人称視点で嘘をつく必要がない」ということでもある

 ただ、ジェイデンはPhase 1作中内において、世界のことをほとんど一人称視点で語っていないのである。

本来、人がキコニアに運ばれてきて生まれるのが、正しいはずなのに。 このAOUでは、正しい生まれ方をした都雄の方が、寂しい思いをしているなんて、………イカレてる……。”(キコニアPhase 1フラグメント12『兄弟の日』)

 この箇所くらいであろうか。彼が本当は世界のことをどう思っているのかについてはPhase 1を読む限りまったく分からない。その上、ジェイデンは意図的に嘘をつこうとしているわけではないのに一人称視点が混乱している。彼がもしも魔女=GMだとするならば、確かにこの物語をミステリーと呼ぶには少々混乱が生じすぎている

ジェイデンの目的は?

 ジェイデン自身の一人称視点での世界に関する発言はほとんど表れていない。しかし、ジェイデンは重要な発言をしている。

なぁ都雄ちゃん……お前が望んでた世界なんだぜ? それを、どうして拒むんだよ……?”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

 この文章は見る限り、地の文として表現されている。つまり「都雄が望んでいた世界」だとジェイデン自身が本気で思っているようである。

 前項で挙げた通りジェイデンが『魔女』であると仮定すると、ある疑いが浮上する。「ジェイデンは「都雄が望んでいた世界」だと思ったからPhase 1のようなゲーム盤を実行した」という疑いである。

【都雄】「僕の望みじゃないよ。逆だよ。………このお子様ランチは、君が注文したから、起こるんだ。君という、プログラムがね」”(キコニアPhase 1第24章『天災のお子様ランチ』)

 という青都雄からの指摘とも合致する。

 Phase 1において、都雄の望みを端的に示す描写がある。仮想体験発表会の場面である。

仮想体験が始まった途端、ものすごい熱風が全身を吹き付けた。それは爆風だった。無数の金属片が、リジェクションシールドに弾かれ、その度に天使の羽をばら撒く。眼下の都市は、あちこちで戦火が立ち上っている。自分がいるのは、上空、数百メートル。左腕には、完全な実戦仕様のガントレットがある。”(キコニアPhase 1フラグメント1『仮想体験発表会』)

 これはまさに、Phase 1の世界で起こった出来事ではないだろうか?

 ジェイデンが実際に情報操作をおこなって世界に惨劇を引き起こしている……というよりは、Phase 1が既にデータ化された世界の中である可能性がある。

国際空港の監視システムに干渉し、さらにその上、幾百もの監視映像に映っている自分の姿を全て改竄して、文字通り、存在しなかったことにしてしまうなんて大それたことを、人間の脳みそ1つで、出来る訳がない……。”(キコニアPhase 1第12章『ギフト』)

【ヴァレンティナ】「閣下の手帳という、アナログな記録にさえ、今日の目的が一切記録されていなかった。……あるいは、それさえも、消し去られたのか」”(キコニアPhase 1第12章『ギフト』)

 先述の通り、キコニアにおいて一人称視点や地の文に意図的な嘘が含まれる可能性は低い。「セシャトの来訪は本当に起こったことであるにも関わらず、現実ではおこなえないはずのデータの消去がおこなわれてしまった」ということになる。「Phase 1がデータ化された世界の中である」という解釈を採ると矛盾が少ない。

「A3Wそのものがとうの昔にデータ化された世界であり登場人物の存在そのものがデータ上の存在に過ぎない」という仮説も成り立つ。ただ現在のところ、筆者はそれよりは、

【ギュンヒルド】「ふふふ……。サーバーの中に自分の魂をコピペして永遠に生きる。………概念的には不可能ではないそうですが、果たしてどうなのでしょうね。人間の魂は果たして、永久という概念に耐えられるのか」”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

 との言葉の通り、記憶をコピペしたサーバーの中の世なのではないかと思う。コピペ、というからには、データを採る元の人物が存在する。

 振り返ってみるとジェイデンの発言には、意味深なものが目立つ。

【ジェイデン】「でもな、これだけは相棒としてはっきりと言えるぜ。お前は、何に挑戦しようとも、それで評価がAだろうとBだろうとDだろうと。最後には必ずガントレットナイトになって、この空で最強の男になって、俺の相棒になる運命だったぜ」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

【ジェイデン】「その当り前の地球に、もはや適応できない人類は、地球の住人を自称する資格なんかあるのかよな」”(キコニアPhase 1第23章『無人兵器暴走事件』)

【ジェイデン】「でもよ。やっぱり、SF映画とかがよく言うように。……産業革命に続く次のブレイクスルーは、肉体を捨てて、魂だけの存在に進化することなんだろうなぁ」”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

【ジェイデン】「馬鹿、お前は俺と一心同体だろ。どこまでも最初っから一緒だよ」”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

 本論にて掘り下げたジェイデンの人物像を考えると、都雄が動機でサーバーの中で一生過ごそうとするくらいのことはおこなってもおかしくはない

 ここでキコニアのGMからのメッセージに立ち返ると、

いいえ。惨劇に、抗う必要はありません。駒の仕事は惨劇の渦中に踊ること。ゲームのルール? 難易度? 私たちが決めるし、あんたには関係ない。お前たちは取ったり取られたりして、私たちが喜ぶような喜怒哀楽を見せればいい。いいこと? 勘違いしないことよ。お前は私の対戦相手じゃない。私を楽しませる為の、駒に過ぎないの。今度のゲームは、あんたにプレイヤーの席なんて与えない!”(キコニア『ストーリー』)

 とある。

 「現実世界に存在している都雄と一緒にサーバーの中に存在する自分たちの駒を眺めること」が目的で作成されたゲーム盤と考えると、このメッセージとも一致するように思われる。

なぜサーバー世界で生きることを選んだ?

 ジェイデンは終盤にて、肉体不要論を支持していた。しかしジェイデンは肉体というセンサーを失うと最も困る人物である

【ジェイデン】「……電子世界で生きられるようになっても、さぞやつまらないだろうな」”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

 とも言っている。本来ジェイデンにとって、肉体を失うことは損でしかないはずなのである。

 しかしキコニアPhase 1で描写されていたように、ガントレットナイトが実戦で功績を挙げると、最終的にはあっという間にガントレットナイト同士で殺し合いをする羽目になる。都雄の望んだ世界を維持することは、現実には実現可能性が低い。また、都雄自身が何らかの役割を背負わされていることも明示されている。

ごめんね、都雄。お母さんは、あなたを駒にする為に生むわ。”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

 現世の都雄が自由の利かない状態に陥り、せめて仮想体験の中でだけでも都雄の望みを叶えてやろうとした……というのは動機として十分ありうるように思う。

 なお、ジェイデンが肉体を眠らせて脳内でGMをおこなっていた場合、「所詮仮想体験の出来事」では済まされない問題が生じる。第2章で述べた通り、ジェイデンは肉体を失ったら自らのストレスを認識できなくなる。そのうえ、ミャオの前でニコニコしている約束までしてしまった。「表面的にはずっと笑顔のままじわじわとストレスを溜めこんでいく」という恐ろしい状態に陥る可能性が発生するのである。大事に思っている相手に対する好意でおこなった行動が誤解されて傷つけ合ってしまったら、悲劇以外の何物でもないだろう。また、セシャトが何らかの責任を追及している描写と合わせて考えると、タイムリミットのようなものが存在している可能性も高い

第3項 うみねことキコニア

神曲』の<煉獄>と<地獄>

 前項で『神曲』はキリスト教的世界観に基づく作品であると述べた。ただ実は『神曲』は、筆者である主人公により紡がれた「報われることが困難な恋」について書かれたものでもある。

 「うみねこ」のベアトは、肉体的な損傷や制約により恋の実現に困難を抱えた。「キコニア」のジェイデンは、精神的な損傷が生じたことで恋を認識することすらできなくなっているとみられる。まさに『神曲』の<煉獄>と<地獄>のような対の構造である。

Last noteの難易度とは?

 うみねこのLast noteの難易度については以下のような記載がある。

難易度は、貴方に敬意を表し、高めと致しました”(うみねこ『Last note』)

 うみねこのEP1からEP8までの難易度は以下の通りである。

難易度は標準。最初くらいは王道で参りましょう。”(うみねこEpisode 1)

難易度は極上。魔女はあなたをいきなり屈服させるつもりです。”(うみねこEpisode 2)

難易度は互角。あなたにとっても魔女にとっても互角なのです。”(うみねこEpisode 3)

難易度はあなた次第。あなたのこれまでの戦い方が、難易度を左右します。

うみねこEpisode 4)

難易度はやさしめ。今更、あなたが何に騙されるというのか…。”(うみねこEpisode 5)

難易度は、もはやありません。これはもはやヒントではなく、告白なのです。”(うみねこEpisode 6)

難易度は、少しだけございます。”(うみねこEpisode 7)

難易度は、山椒のように小粒でピリリ。最後くらい、貴方もご参加されては如何でしょう?”(うみねこEpisode 8)

 つまり、Last note of the golden witchの難易度は、Episode 1よりも高くEpisode 2よりも低いくらい、ということになる。

 Last noteの難易度とは何を指しているのだろうか? 素直に考えれば、作中で出てきたとおり、ピースの正体が右代宮明日夢であることを暴くことであろう。しかし、ピースの正体が明日夢であることを暴くことは、「Episode 1の事件がどのように起こっていたかを暴く以上に難易度の高いこと」であっただろうか。

 Last noteのピースの正体に関して、筆者は自身のツイッターアカウント(@higuumi753)にて、2020年9月5日-8日に72時間の無記名式質問調査を実施した(https://twitter.com/higuumi753/status/1302127244488224768-?s=20)。質問は「ピースの「私はだぁれ?」作中で回答が明示される前に正体がわかった・わからなかった」の2択とした。67名の回答者のうち34名(50.7%)が「わかった」と回答、33名(49.3%)が「わからなかった」と回答した。時間内のRT数が6RTとあまり多くなく、回答者の多くは筆者のアカウントのフォロワーであり07th Expansionの根強いファンであると思われる。そのため回答に偏りはあるものの、過半数以上のプレイヤーは回答が明示される前にピースの正体を察することができたという結果である。難易度が高めであるとの説明と随分かけ離れてはいないだろうか

 また、今まで『うみねこ』という作品は「ゲーム盤を通してメッセージを伝えること」を尊重してきた。原作のどのエピソードにおいても作中内にて魔法を介さず回答をスッパリと明示したことは今まで一度もなかった。プレイヤー自身が魔法装飾の示すものの裏側を思考しなくては答えにたどり着けないようになっている。だからこそすべてのエピソードで難易度が設定されてきたのである。Last noteの目的がピースの正体を暴くことであるなら、その回答は作中で明確に示されている。にも関わらず「難易度設定」があるのは、『うみねこ』という作品の今までの難易度設定のあり方と一貫性を欠いているように思われる

 ここに、一つの仮説を提唱する。Last noteの目的は、ピースの正体を暴くことそのものではなかったのではないだろうか。そしてGMはピースではなく、戦人だったのではないかという仮説である

Last noteの「共犯説」

 「うみねこ」という作品においては、ある条件を満たすと一人称視点で意識的に嘘を吐くことが許されている。犯人と共犯者、つまり事件を起こしている人物である。もしゲーム盤の目的がピースの正体を暴くことでないなら、全員が一人称視点で嘘を吐いていたことになる。つまり、戦人・ベアト・縁寿・明日夢の4名は共犯関係ということになる。

 犯人および共犯者には動機が必要である。この項では「キコニアというゲーム盤を理解する上でのヒントを出すことが目的であった」という仮説を提唱する。

【ベルン】「なきそうなのよ」”(うみねこ『Last note』)

 「うみねこ」の世界と「キコニア」の世界は上位世界では繋がっている。航海者権限はなくとも、戦人達が認識することくらいなら可能そうである。

【ウサギ】「かの大ベアトリーチェ卿のお言葉にもございますっ、曰くっ、宇宙は1人では作れないっ」”(トライアンソロジー

 トライアンソロジーベアトリーチェの名前が出てきた先例もある。航海者権限を持たない魔女でも、他のカケラを観測している先例として扱えるように思う。

 「他の作品のキャラクターのために行動する動機」など通常は存在しない。しかしこの4人の性格や置かれている環境を鑑みると、『キコニア』のGMの代わりにメッセージを代弁しうる動機が存在するように思われる。

 戦人という人物は第3章で述べた通り、「共感」が得意な人物である。その共感性の最も向かっている先は妻であるベアトである。そして、彼がベアトのような魔女に対してどのような気持ちを持っているのか、Last noteにおいて克明に描写されている

【戦人】「魔女のゲームはな。……何でもアリだ。考えるのが馬鹿馬鹿しくなりそうなくらいに、異常で狂ってて常識はずれでイカレてる……!! だがな、絶対に蔑ろにするな……。心を……ッ!!! 魔女って大馬鹿な連中はな、……あんなにも滅茶苦茶な力を好き放題に使えるのにな……、たった1つだけ、赤ん坊並か、あるいは動物並に、どうしようねぇ特徴が……、悩みがあるんだよ……。心が、伝えられねぇんだよ。シンプルな言葉で、素直に喋れねぇ天邪鬼なんだよ!! それなのに人の心を求めて、人に近付かずにはいられないッ、なのにそれを素直な言葉で示せない、馬鹿で間抜けで、どうしようもなく可哀想な連中なんだよッ!!!」”(うみねこ『Last note』)

【戦人】「大馬鹿の寂しがり屋が、それでも精いっぱい、拙くても必死に必死に書き上げたカケラを……、考えるだけ無駄だとか……絶対に言うんじゃねぇッ!!!!」”(うみねこ『Last note』)

 戦人は『魔女』に対してこのような熱意を持っている。「うみねこ」というゲーム盤はプレイヤーにメッセージを伝えるために作られているものである。うみねこ」というカケラに存在する戦人から見て、プレイヤーの存在さえ意識せず自分の動機すらよくわからないまま不安定なカケラを紡いでいる「キコニア」のGMを観たらどのような気持ちを抱くだろうか

 Episode 6のようなゲーム盤を執り行った戦人が、肉体の性別が理由で恋心を否定するとは考え難いキコニアのジェイデンは、第3章で掘り下げた通り生い立ちなどがベアトの「後輩」にあたる可能性が極めて高い。そして戦人がLast noteで力説した『魔女』に対する熱意や生来の共感性の高さから思うに、もしもベアトの「後輩」がGMをしていたら、黙って見ていられずにメッセージを代弁するくらいのことはしてもおかしくはないように思われる。

 Last noteの「主犯」が戦人であるとして、共犯者である3名にもそれぞれ動機が必要である。

 まずベアトだが、ベアトは恋の苦しみや孤独や誰かに理解してほしいという気持ちを骨身に染みて知っているはずである。かつ彼女は、もともと真里亞への接し方から現れているように、「目下にあたる者」に対して親切である。07th大浴場2020小冊子の時のように、それとなく「後輩」を助けてやる気概はありそうである。

 縁寿は、憎しみの連鎖を断ち切り「福音の家」にて孤児を養いながら、白き魔法を授けるために童話という形で「メッセージを伝え続けている」人物である。かつて自分達がそうであったように、孤独な子供に、血の繋がりはなくとも魔法を教えるために童話を書いている。縁寿は遥か遠い未来の全くつながりのない人物であろうとも、その苦しみを理解しようとしうる人物である。また、Last noteでは、

【縁寿】「魔女ってのは、戯れや気まぐれで人を殺せる連中でしょう?! 魔女に動機を求めるなんて、馬鹿馬鹿しい!! 考えるだけ無駄じゃないッ」” (うみねこ『Last note』)

 と述べているが、Episode 8において魔法を理解し、今なお反魂の魔法を行使している縁寿の発言としてはやや不審な言動である。

 今回のゲストが明日夢であることも意義深い。明日夢は、血の繋がらない憎い女の子供であっても実子のように愛情を傾けられる者である。戦人を12年間愛情深く育てた彼女が、縁寿をただ傷つけたくて呼んだというのもまた、理解できる範疇ではあるが、疑うだけの余地がある。血縁に囚われない人物であるからこそ、戦人がそのような動機で動いていた場合、少々の泥を被ってでも喜んで手助けをしてくれそうなようにも思われる。

 Last noteはそのまま受け取っても、素晴らしいシナリオであった。しかし「血の繋がらない相手でも想いやり未来に繋げようとする明日夢と縁寿という二人の協力を得て、不器用なGMのために戦人とベアトが作ったゲーム盤」として受け取ることもできそうだ。そして、素直に読むよりもその方がむしろ「良い話」になり得るポテンシャルがあるように思われる。

 うみねこという作品は並の作品ではない。秘められたメッセージがあるほうが爽快に感じてしまう。「遠い未来を生きる若者達の身を案じ、おせっかいにもゲーム盤を作ってメッセージを代弁する」というのは非常に「彼ららしい」のである。

Last noteの「なぞなぞ」

そうとも……。金蔵の碑文は、推理なんて洒落たものじゃない。あんなの、ただの子供の、独りよがりのなぞなぞ遊びじゃないか……!! 発想を柔軟にしろ。推理というキッチリとした算数ゲームではなく。連想、妄想、何でもアリのインスピレーションで攻めるんだ……!” (うみねこ『Last note』)

 今までの「うみねこ」において、謎は推理するものであった。しかしLast noteに「キコニア」を理解するためのメッセージが仕組まれているとしても、「うみねこ」本編のように謎自体と直結させるわけにはいかない。Last noteはあくまで「うみねこ」追加シナリオであり、すべてのプレイヤーが「キコニア」をプレイするわけではない。即ち、Last note単体でも成立しうる話でなければいけなかった。ゆえに、物語自体にミステリーのような謎を仕掛けるのではなく、会話の中に「それらしい話」を仕込むようなやり方で「匂わせる」ような謎かけをする構造になったのだと思われる

雰囲気に騙されてはいけない

 第2章第3項でも提示した通り、戦人とベアトはヱリカとピースという2人を挙げ、雰囲気やイメージのみから連想することに対して否定的な見解を示している。

 ジェイデンの鈍感さについて、初見で筆者は、圭一や戦人のような思春期的な若さゆえの女心への疎さのように思い込んでしまっていた。しかし、本論で掘り下げた通り彼の鈍感さは感情に対する知覚の鈍さによるものである疑いが強い。表面的な行動の類似性ではなく、境遇や行動の目的を真剣に掘り下げることにより解釈可能である。

【縁寿】「私は動機の線ではなく。……あくまでも、このピースという魔女の雰囲気やイメージから連想を探していた」”(うみねこ『Last note』)

【ベアト】「フーもハウも、何でもアリの幻想の住人たちには通用しない! しかし、ホワイは違うぞ」

【戦人】「あぁ。フェザリーヌやらベルンカステルにも、犯行は可能かもしれない。しかし、こんな歪な事件を起こす動機がない」”(うみねこ『Last note』)

赤と青の儀式

 うみねこ咲のOPムービーにて、戦人とベアトはそれぞれ「」と「」と明示されている。ベアトが青字を使ったことはほとんどないことを考慮すると、第3章で述べた通りポジションの色の意味のように思われる。何しろ戦人とベアトさえ「」と「」を改めて名乗れば、歴代「第一主人公は全員赤」「第二主人公は全員青」に揃うのである。

血塗られたla Divina Commedia

 la Divina Commediaは『神曲』の原題である。うみねこ咲のOP「白金のエンピレオ」にて、『神曲』の要素を強く組み込んできている。

尊厳の冒涜

 ピースの魔法は尊厳を蹂躙するものであると述べられている。

【縁寿】「……もう、……わかるわ……。命より大事なもの。……それが、尊厳。……尊厳とは、死してなお残る、自分の生き様や名声、あるいは努力。生涯をかけて残し、誰かに受け継いでもらえた大切な何か。……しかし、この女に食われた犠牲者は……、それが残せない……ッ」”(うみねこ『Last note』)

 尊厳は、「キコニア」において重要なキーワードとして用いられている。「キコニア」においては、第三次世界大戦の記録が抹消されている。即ち、それに関連する死などもすべて隠蔽されたに等しい。重大な尊厳の蹂躙が生じている。そしてそれが良しとされている社会である以上、都雄達の平和の壁を支えるためにおこなっている行動もまた、何もかも記録に残らない可能性があるだろう。GMの動機に繋がりうる情報のように思う。

恋の本当の障害は肉体か?

 Last noteでは、初めて紗代の立ち絵が出現する。昭和が舞台であるうみねこにおいてさえ、本質的な問題は肉体のことではなかったのである。

【ピース】「……ベアトは、夢を叶えた。……戦人の家の近くに住み、同じ学校に通えるという夢を、実現した」”(うみねこ『Last note』)

 ここまでストレートにベアトの本来の願いが描写されたのは原作においては初めてのことである。明日夢が死なない世界においても、ベアトの肉体が幼少期に損傷を受けた過去は変わらない。ただ戦人がいれば戦人には受け入れるだけの度量があり、ベアトは思い悩まずに済んだということが改めて示されている。

水入らずソファー

 「うみねこ」のゲーム盤は対戦型のゲームである。基本的にはチェス盤を挟む1人掛けの椅子が用いられている。2人掛けのソファーを使う機会はないはずである。にもかかわらず今回、わざわざ2人掛けのソファーが置いてある。このソファーが設置されていた意図に関しては一切説明がない。

【ベアト】「このソファーは元々、2人掛けであるぞ。狭いとは思わぬか、戦人」”(うみねこ『Last note』)

 これは「駒の喜怒哀楽を『眺める』ことが目的」である「キコニア」のゲーム盤の、「同じ方向から二人一緒に観る」構造を指している可能性がある。

並列思考

 反魂の魔法について、今までにはなされていなかった描写がされている箇所がある。

【ベアト】「そなたの妹は反魂の魔女であるぞ? 縁寿が望めば、生死を問わず、それは居る」

【戦人】「……ただし、それは反魂の魔女自身にしか認知できない」

【ベアト】「他者には認識できないが、それを理由に否定することも出来ない。……それが、反魂の魔女の、反魂」

【ピース】「要するに、縁寿が脳内に自在に召喚できる仮想人格、分割並列思考という訳でピスね。器用な魔法でピース」”(うみねこ『Last note』)

 これはまさに、パラレルプロセッサーを指しているのではないだろうか?

"【ピース】「喋り方って大事でピスね……。最初と全然イメージが違って見えるでピス」"うみねこ『Last note』)

との描写もある。

魔女は寂しがりで大馬鹿

 Last noteにおける山場の一つは、戦人の熱烈な魔女語りシーンである。しかし、「不器用で寂しがりで大馬鹿、言葉を伝えられない」という印象は、本作のゲスト魔女であるピースとあまり一致していない

 そもそも戦人が「魔女だから切実な動機がある」と断定するのも違和感がある。うみねこの魔女にはベアト以外にも、ワルギリア、マリア、エンジェ、エヴァ、ヱリカ、ベルンカステル、ラムダデルタ、フェザリーヌがいる。このうちラムダにしろベルンにしろ、Episode5やEpisode7にて、かなり趣旨の異なるゲーム盤を執り行っている。すべての魔女と既知であるはずの戦人が、「魔女だから何らかの願いがありそれは本人の在り方と結びついた切実なものである」とまで断言するだろうか。それよりは「『そういう不器用さ』がある人物を見ると妻であるベアトのことを想起してしまうので黙っていられなかった」という主張のほうが共感できる。つまり戦人の催したLast note of the golden witchというゲーム盤における、彼の動機の表明である。

コナンはヒント?

 うみねこLast note作中には、名探偵コナンのネタが出てきていた。

【戦人】「ハンガーぶつけてSHINEって言われて富士山が見えなくなったからとかみたいな、犯人にとっては重要でも、第三者からは、そんな理由で人の命を?!って驚かれるようなものではない、ってことだよな?」” (うみねこ『Last note』)

【ウェル】「せやかて戦人……!!」

【戦人】「これ言わせたかっただけだろッ!!!!」

【ウェル】「バーロー! 真実は、いつも2つ。愛がなければ視えない」” (うみねこ『Last note』)

 もしキコニアの世界がサーバーを用いて定期的に古いデータをリセットすることによりループしているのであれば、現世では時間が進んでいるということになる。「見た目は子供頭脳は大人」になりうる。

 以上のように、うみねこ」と「キコニア」は関連が深く、また「うみねこ」における戦人達の境遇からメッセージの代弁をおこなう動機もあると考えた。

 ただ、本論の心理学的解釈とは異なり「連想、妄想、何でもアリのインスピレーション」を仮定するものである。今後Phase 2以降で情報が開示されるに伴い、一から十までまったくの見当違いであったことが示される可能性も大いにある点は留意したい。

 

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