綿騙し編について
※以下、人にとっては不快だと思う想像が含まれているかもしれません。ご注意ください。
- ひぐらしのなく頃に無印および解(以下、旧作)で惨劇の要因となった人物が記憶の継承によって行動原理が変わっている
- 旧作で加害者であった人物が被害者になっている→OPや作画においてたびたび出ている鏡像、反転した世界という比喩
以上を踏まえ、まずは、綿流し編・目明し編の中心人物であった園崎詩音についてまとめる。
詩音は、旧作においては想い人である悟史を園崎家が祟りの名目で殺害したという強固な疑心暗鬼に囚われていた。そのせいで目が曇ってしまい、血縁上妹であり名義上は姉である双子の魅音(真詩音)に対して愛情がありながらも、もしも自分が魅音のままでいたら悟史を守れたはずだというコンプレックスを抱いている。そして魅音に恋愛相談をされたことをきっかけに自分との立場の違いを触発されていき、村の暗部を気にして祭具殿に侵入する……という人物である。綿流し編・目明し編時点では悟史の妹である沙都子に対して「悟史を追い詰めた元凶」として非常に強い敵意を向けているが、皆殺し編以降においては沙都子の味方になっている。
ここで、詩音に関するポイントを整理しながら、綿騙し編の魅音・詩音の挙動と見比べたい。
- 園崎家への疑心暗鬼→作中において魅音または詩音が園崎家主導で祟りをおこなっていると述べたシーンがない。御三家のために村人たちが勝手に祟りを起こしてしまっているという認識を述べている。魅音?が「終わらせないといけない」と言っている。梯子を揺さぶるシーンで、旧作においては沙都子が祟りの元凶だと述べていたが、業では梨花が祟りの元凶だと述べている。
- 魅音のままでいることに対するこだわり→「当主の格好をした魅音」は現れるが、非常に自然体であった。旧作で魅音を演じている詩音とは様子が異なる。
- 魅音からの恋愛相談→詩音は「お姉がご執心の圭ちゃん」と言っており、明らかにおこなわれている。綿流し編・目明し編においては人形がもらえなかったことが惨劇要因……とされがちだが、むしろ魅音の恋愛相談を受けて自分と悟史の境遇と比較したことが原因である。人形を渡そうと渡すまいと魅音が恋愛相談をおこなったことが重要であり、詩音の動機自体には一切影響していないと思われる。
- 祭具殿に侵入→園崎家への疑心暗鬼がない状態で、詩音が祭具殿に侵入する動機がない。漫画版だと侵入後に自分たちが祟りのターゲットになりうると真剣に述べており、遊び半分で侵入したとは思い難いが……? 「祟られるかもしれないと考えているにもかかわらず祭具殿に侵入するほどの強い動機があるのは疑心暗鬼に駆られている人物のみ」「詩音には動機がない」という点を考えると、祭具殿に侵入したのは魅音(真詩音)と考えられる。
- 皆殺し編時点で既に詩音は記憶の継承が行われている。エウアいわく記憶の継承は不可逆である。業・卒においては、鷹野や鉄平やリナなど「旧作では惨劇の元凶となっていた人物」が改心する様子が描写されている。旧作でも既に別のカケラでの過ちを悔い改めることができていた詩音が「園崎家が悟史を殺した」という疑念から暴走してしまう道理は非常に乏しい(コミカライズ猫騙し編において発症した詩音が描写されていたが、ここでも悟史の生存を信じている口ぶりである)。
以上の点から、綿騙し編の犯人が詩音である可能性は非常に乏しい。
綿騙し編は、園崎魅音による犯行と思われる。
梨花の百年の中で、魅音は一切凶行に及ばなかったことが言及されている。しかしそれはあくまで梨花の百年の中であり、かつ梨花はあまり人間観察が得意ではない。何しろ鷹野の計画を疑わず、業においても寝食を共にしている親友の犯行に一切気づくそぶりがなかった。一度信頼した相手のことを疑うことが得意ではないのであろう(これは彼女の美点でもあると思うが本題からは逸れるのでここまでにとどめる)。
魅音については、綿騙し編で以下のような挙動を取っている。
- 詩音の名前を使って圭一に弁当を届けるなどの行動
- 「私が祟りを終わらせる」との発言
- 園崎家は拷問器具を使っていないとの明言
- 祟りは人間が起こしているとの発言
- 圭一への告白
魅音はどこで「自分が祟りを終わらせなければいけない」という責任感を持つに至ったのか?
圭一と責任感に関するやりとりをおこなったシーンがある。詩音との電話である。
「お前が無理矢理引っ張っていったんだろ!! どうすんだよ!! どうやって責任取ってくれるんだよッ!! えぇ!? おい!!!!」
このやりとりは漫画版でもアニメ版でもはっきり描写されていた。綿流し編・目明し編にも同様のシーンが存在したが、その電話自体はさほど重要なシーンではない。しかし、もしこれが詩音を騙って圭一を祭具殿に連れ込んだ魅音だったら? 想い人からのお前のせいだ、お前が責任を取れ、という発言は、魅音にとってかなり響くものであったのではなかろうか。
綿騙し編は以下のような状況であったのではないかと推測する。
- 詩音が園崎家に対する強い疑心暗鬼を抱かず爪剥ぎも発生しないため、魅音が「園崎家が主導ではないにしろ園崎家の顔色を窺って祟りを起こすくらいのことは起こりかねない」と思ったまま1983年を迎える
- 人形の件などを経て魅音の圭一への恋心が増す
- 村の暗部について探るため詩音と入れ替わり祭具殿に突入し、祭具殿を離れたあと、バラバラになったみんなと集合する際に詩音と入れ替わり元の魅音に戻る
- 祟りについての確信を得る何かが起こる(公由、お魎のふだんの言動を思うとめでたい祭の席で酒が入っていたら「罰当たりモンには祟りがあって当然だ」などの発言が生じても何らおかしくない)
- 圭一から責任を責め立てられて当主としての責任について考える
- 梨花相手に、魅音が真相を問い詰める。鬼明し編のようなヤケを起こしている上に「既に魅音は幽閉されておりここにいるのは詩音(真魅音)である」と誤認している梨花、綿騙し編で圭一に見せたような態度と目明し編で見せた「拷問狂」のような発言をしてしまい、魅音の雛見沢の暗部に関する疑心暗鬼を加速させる
- 魅音、御三家の闇を園崎家の最後の当主として収めるべく覚悟を決めて御三家それぞれのトップの殺害に及んでしまう。すべてが敵であるかのように感じる暴走ではなく、園崎家の当主としての覚悟に基づく犯行。疑心暗鬼というよりは宵越し編のような裏社会のトップとしての覚悟による雛見沢を守るためのもの。詩音の殺害動機も怨恨ではなく、鬼の血を絶やすため。また、発症した詩音とは逆におそらく苦しめないように最初のほうに殺害しようとするのではないか
上記ロジックにおいて過度の疑心暗鬼は必ずしも必要ではない。詩音が疑心暗鬼を加速させない状態で御三家の人々がそれぞれ怪しげな言動を魅音にぶつけて続けてしまったら十分に至りうる思考であると思われる。そもそもの問題は思わせぶりで誤解を招くような態度や言動である。
ところで、綿騙し編において、H173による強制発症は行われているのだろうか?
たとえば経口投与でも効果を発揮する、などの追加情報があれば別だが、村八分されており園崎本家に近づきにくいであろう沙都子が、鬼明し編のように眠っている魅音に注射をする機会を得ることは難しいようにも思われる。綿明し編の解に期待したい。