「それでもあなたは信じられますか?」の意味
現在、ひぐらしのなく頃に卒が放映中である。
業卒、見るのがつらい人はとりあえず一旦まったく見ないようにしてハッピーエンドが保証されてから見るのもアリというか楽しみ方は人の自由だよ
— なごみ🌹⚙ (@higuumi753) 2021年7月30日
このツイートがチョイ伸びしてることからも、視聴者の多くが大なり小なりストレスを溜め込んでいるのではないかと拝察する。
多くの視聴者は何にストレスを感じているのかというと、「各登場人物が何を考えているのかよくわからなくて共感しづらい」という点ではないだろうか。
この描写が、意図的である可能性が高い。
まず前提として07th Expansionの作品、特に「なく頃にシリーズ」においては読者や視聴者を物語に没入させ、こちらの考え方を揺さぶってくるような物語の構成が多い。
たとえば「ひぐらしのなく頃に」では、鬼隠し編において、視点主人公をあえて固定し、雛見沢症候群による歪んだ認識を追体験することで最初は99%の人物がなんの悪意もない竜宮レナを疑うように仕向けられる(キャッチコピーの正解率1%は100通集めた感想の中の「レナは何も間違ったことを言っていないのにかわいそうだ」という1名の感想であり、氏が圭一の幻覚に引きずられて惑わされないことを最も重んじていることを推察させるものである)。
「うみねこのなく頃に」では、ベアトリーチェの自分の気持ちを心の底から理解して欲しいという願いに対応し、数多のヒントが散りばめられているものの、プレイヤー自身が考えることで彼女の願いが何であるのかを探る構造になっている。そして序盤においては戦人はベアトリーチェのことを残虐非道な魔女であると思い込み実際に親族達を手をかけたと誤解していた。
「キコニアのなく頃に」では、登場人物たちの表面的な会話や外見により印象操作がなされており、情報を整理すると一人称視点で考えていることと言動に明らかな齟齬が生じている人物が存在する。会話や外見だけの印象からとある人物の人物像を大きく誤解したまま話を読み進めてしまうようになっている。
なく頃にシリーズにおいては、読者や視聴者やプレイヤーが「誤解や思い込み」をするようあえて誘導されるという手法が用いられている。
「ひぐらしのなく頃に業・卒」においては、この「心理描写の欠落に視聴者がストレスを抱くこと」を織り込み済みで描かれているのではないか?
というのも、今までの作中内の描写から、「相手の心理がわからない」ことにより間違いなく多大なるストレスを感じ、それこそ今までの人物達に対する印象が激変してしまったであろう、重要な人物が一名存在すると考えられるのである。
北条沙都子である。
彼女の行動の変化の経緯を思い出してほしい。
ここで「百年も梨花の苦労を見てきたのなら梨花の苦労に共感してあげてほしい」という意見も散見された。この百年のカケラめぐりで沙都子が本当に視聴者とまったく同じ情報を得ていたのであれば、それは本当にそうであろう。
だが、今一度、この百年のカケラを沙都子がどのように見ていたのか、確認したい。
最初に沙都子が見た鬼隠し編のカケラが顕著である。沙都子の見たものは、
- 発症して疑心暗鬼に駆られた圭一がおぼつかない足取りで倒れ込みながら、ゆっくり歩み寄るレナに向けてバットを向ける場面
鬼隠し編で実際にプレイヤーが得た情報は、
- 圭一の一人称視点での情報(この場面での圭一は、走っているつもりなのに何故か歩いているはずのレナに追いつかれてしまっていた)
つまり沙都子はプレイヤーと同じ情報など得ていない。「心理描写が欠落したままただただ惨劇が起こる様子」を百年分見てしまった可能性が非常に高いのである。
我々視聴者が鬼明し編と綿明し編だけでかなりのストレスを溜め込んでしまったこの描写を百年分、である。
既に業・卒をみている視聴者ならば同意しやすいのではないかと思うのだが、客観性が保証された状態は何が起きているのかを表面的に把握することは非常に容易だが、各人物に対して共感することは難しい。
つまり、一見表面的には最も共感しにくい振る舞いをしている沙都子と同じ心情に追い込まれているのが現在の視聴者なのではないか?
この沙都子が祭囃し編を通過して、部活メンバーらを大事だと思っていたのであれば尚更このショックは著しいものであったはずだ。
特に、自分に優しい詩音が数多の世界で自分に対して悟史のことで殺意を剥き出しにしてグロテスクな拷問をおこなっていた事実は、なかなか受け入れがたいのではないだろうか。心理描写が欠落しているから、沙都子への仕打ちを悔いたこと、やり直せるものならやり直したいと思っていたことなど窺い知るタイミングもない。
心理描写がないまま百年間の記録を見た場合、「雛見沢という土地はもともとランダムで誰かが発症するもの、元がどれだけ優しかろうとあまり関係ないしそれがむしろ普通」と思い込んでしまっても無理はない。
また、発症して大きな行動をしたことがない魅音がもし発症したらどのような行動をとるのか、というのは単なる知的好奇心だけからではなく、百年のカケラを見てもいまいち理解できなかった魅音のことを知りたいという願望だったのではないだろうか。
郷壊し編では、梨花の心理描写もされていない。そして百年のカケラを客観視点で見ただけでは、梨花がどれだけ沙都子のことを大事に思っていたか伝わりきらない可能性がある。梨花は、思っていることをあまり積極的に口に出すほうではない。そのうえ、ときどき目明し編や罪滅し編の時のように魔女らしい捨て鉢な発言をして相手の疑心暗鬼を悪化させてしまうことまである。もともと「ルチーアに行くまでは自分を都合よく使っていた」と思い込んでいる沙都子なので、「そもそも梨花は他人を手駒として使って用がなくなったら捨てる人物だ」とまで疑心暗鬼が加速している可能性がある。
(もし沙都子が梨花の発言すべてに意味を見出していた場合、C120で急性発症者を治療しているという発想でさえなく、H173を使って発症レベルを更に引き上げて自害に追い込んでいると誤解してしまうことすらあるかもしれない)
沙都子の行いがそれぞれの人物の追い詰められている心理状態などをまったく考慮していないものだとすると、「梨花に駒としていいように扱われた」という被害者意識から「相手を駒として扱う側になってしまった」ことの重さ、記憶の不可逆な変容のもたらす加害性に気付いた時、本人もかなり手痛いしっぺ返しを喰らうものになると予想される。
また梨花も、今まで誰からも咎められることがなく、皆殺し編の記憶さえ残っていれば自覚し克服できていたであろう「今ここで生きている本人に向き合わなかった罪」について向き合わざるを得ない状況に追い込まれるのではないだろうか。
ところで、業卒においてもっとも梨花および沙都子の魔女ムーブに割を食っているのは、圭一である。彼は梨花のように異なるカケラを観測することができず、症候群の存在さえ知らない。最適解を選び続けているのになぜか惨劇に巻き込まれ続けるという役回りである。
その圭一が猫騙し編において、早く殺されて次のカケラに行ってしまいたい梨花に促され、梨花の脳味噌を摂取してしまった可能性が高い。
梨花の脳といえば、雛見沢症候群の寄生虫の女王が巣食っている箇所であったはずだ。そして業卒において魔女然としたふるまいが糾弾される側にあるのであれば、おそらくこれはロクなことに結びつかない可能性が非常に高い。
とても個人的な願望ではあるが、卒での圭一にはヒーローとしてはあまり過度な期待をかけすぎず、いいことがあるよう祈りたい。