ちとせあめ

なごみ(@higuumi753)07th expansion様の作品について、長文になりがちな考察をメインにアップしていきます。新規情報の追加や新たな視点からの考察の結果記事同士が多少矛盾することもあるかと思いますがお目溢し頂ければ幸いです。

『地獄の底をのぞいたら』あとがき

※この記事は『地獄の底をのぞいたら』のあとがきのような位置づけの記事です。

感情をなるべく排して客観的に記述した本編に対して、完全に感情だけで書いています。ご注意ください。

これは特定の誰かの説を貶めるものではなく、自分自身の「第一印象」に対する問答であるため、そのように捉えて頂ければ幸いです。

 

本書をご覧頂いた方には、私がジェイデンのことを『キコニア』における重要人物であると捉えていることがお分かりいただけたことかと思う。

「都雄の相棒を自称するこの男性はどうやら『ひぐらし』でいう竜宮レナや『うみねこ』でいうベアトリーチェの後継である」というロジックを提唱するのはかなり度胸のいることだった。

というか自分自身でも直感だけだとなかなか信じがたく、最初はヘラヘラ笑ってた。

自分がなぜ「ジェイデンはレナやベアトの後継として捉えたほうがしっくりくる」という解釈を受け入れるまでに手間取り、そして受け入れざるを得ないと考えたのか、漠然としていた理由をあとがき代わりに書き出してみた。

 

Q. え、ひぐらしのレナとうみねこのベアトって主人公の相棒じゃないんですか?
A. とんでもない! 確かにいろいろあったけど最終的にはもちろん性別を問わず頼れる相棒関係だよ!

……。 
正直コレに気付いた瞬間が一番辛かったんだけど、その通り、第二主人公は第一主人公の相棒でもあった
今までだって散々第二主人公の鉄火場でのたくましさには助けられて来たはずなのに!?

 

非常に厳しいものを感じるが、次の疑惑にも向き合いたい。

Q. 都雄ちゃんはこんなに可愛らしい外見なんだからヒロインに決まってるじゃないか! 主人公というにしては挙動が女々しすぎるし頼りないよ。
A. えっ、出題編の圭一も戦人も惨劇に巻き込まれた結果幼女に泣きついてるけど……。

……。

そういえばそうだった。 

なく頃に主人公って罰ゲームと称して際どい格好をさせられたり、ゲームに負けて身ぐるみ剥がされて全裸で引きずり回されたりするようなやつらだった。

「圭一とか戦人がヒロインって感じだよね(笑)」と散々今まで言ってたはずなのである。

 

Q. ジェイデン、レナとベアトみたいなシリアスな悩みを抱えているキャラクターには見えないですよ?

A. シリアスな悩み……、っていやいや、キコニアはまだPhase1なんだから比較すべきは第一印象では? 圭一はレナのことを「能天気でほんわかしたやつ」だと思ってた戦人はベアトのことを「楽しみで人を殺す残虐非道な魔女」だと思ってたつまり今までだって第一印象でナイーブな面は見えてなかったよ? そしてPhase1のジェイデン、見事に都雄から「大して悩みのなさそうなやつ」とズバッと言われてるけど誰も見てないところでこっそり凹んだり悩んだりしてるシーン多いね? つまり「ぱっと見は悩んでるように見えないが大いに悩んでる」をちゃんと満たしてる。

 

Q. だけどレナとベアトって要するに「ヒロイン」でしょ? 身体の性別が女性じゃないとさすがにヒロイン的な役割はできないんじゃない? きっと竜騎士07先生はヘテロ恋愛しかやらないでしょ。
A. これ、EP6で「安田の人格の全員の恋が叶うゲーム盤」作ったバトラ卿の前でも同じこと言えます? 私にはとても言えない。EP8のベルンみたいにぶん殴られそう。ていうか、Phase1で既に結婚だのデートだのなんだのの話題を出しているところをみると、「敵です!」と名乗って出てきたベアトとかよりもむしろコトは分かりやすいまである。

 

Q. ジェイデンは「女好き」では?
A. すごい残酷な事実なんだけど、「可愛い女の子をみて喜ぶ」というだけだとレナも該当するしベアトだって部下にあんなきわどい格好させたりフラウロスを「おっさんだとつまんない可愛い女の子がいい!」って女体化してるわけで、正直「可愛い女の子が好き」というだけで「男性である主人公に恋愛感情を抱かない」という理由には全然至らないのでは……?

 

 

Q. っていうかレナもベアトも自力でいろんなことが出来ちゃうある種の天才だったような……?
A. ……。…………。

 

Q. 今までの第二主人公ってそういえば余計なこと閃いてしまうタイプではなかった?
A. あ~地球を侵略するエイリアンの存在信じて学校に立てこもったりとか、命懸けのリアル謎解きミステリー仕掛けて島に立てこもったりしてたな……。

 

…………。

否定の要素が全部潰れてしまった。

 

もうさ〜〜〜〜〜竜ちゃんさ〜〜〜〜〜!?

 

確かにおかしいとは思った。「ちょっと鈍感な男」と「人格がたくさんある肉体性別不詳のコ」のコンビなんて明らかに『うみねこのなく頃に』の主人公コンビ・右代宮戦人ベアトリーチェに寄せすぎてるとは思った。
「竜ちゃん先生、キャラクターの引き出しいっぱいあるはずなのになんか妙に似てるな……」とは思った。
なんなら「もしかしてうみねこ好きの人へのファンサかな(笑)」なんてとんでもない驕りも抱いた。読者に寄せてくるタイプの作家じゃないのにな。
まさか「前作主人公カップルの上っ面の属性をデコイに使う」なんてことやる!?
そんなことやる!?
……。
竜騎士07先生なら……やりかねませんな。

 

これは間違いなく同人作品だからこそできる構造だ。
商業作品で「今作の主人公カップルの造形、前作の大人気主人公カップルの上っ面のイメージだけ借りてきて作りますね! 内面的にはむしろ逆ですけど(笑)」なんてやったら、編集さんから絶対止められる。
女性向けBLレーベルで「A×Bだと思った? B×Aでした!」なんてやったらど炎上モノである。
でも、竜騎士07という作家は、登場人物を単なる「お決まりのキャラ」として描写することのない人物である。
「同い年なのに家事が得意で家庭的なあの娘」は家庭で母親役をやらざるをえなかった人物。
「幼馴染のかわいいメイドさん」はそう強いられてしまった特殊な出生の人物。
ここに、「明るい・アメリカ人・男性だからって全然悩まないのは不自然」という例が加わったのである。Phase1読み返したらギュンヒルドがまったく悩まないジェイデンは人間的に不自然だ、と的確に指摘していたのでちょっと泣いた。

ちなみに竜騎士07ベアトリーチェの尊厳や作品のメッセージを守るために、批判を覚悟のうえで「猫箱を閉ざす」ことを決めた作家である。
我々がどんな反応をしようと、書こうと思ったら絶対に書き切るに違いない。

そもそもひぐらしの時点で「俺のことを好きな双子の可愛い姉妹」みたいなのを出しといて「と思いきや片方は別の男が好きです」なんてことをしてくるので、心底一般ウケよりも書きたいことを書く人だよなあと思う。今でこそ園崎詩音は一途な女として受け入れられてファンが多いけど、きっと当時はショックを受けた人もそこそこに居たんじゃなかろうか……。

 

つまり要約すると、

「第二主人公の性別が男性であるというだけ」で「虚無から湧いてきた謎の相棒ポジションだと誤認させられた」

というのがことの次第であり、私の中にはちゃんと偏見が存在していたのだ。

 

ついでにこれは懺悔なのだが、安田紗代の性別が女性であると断定する説に対して私はすごくモヤっとしたものを抱えてた。

だって紗代が女性で間違いないと断言するのは、右代宮理御の存在や「恋をできない身体」との発言、すべて理解した戦人がゼパルとフルフルを対等な存在として召喚したことなんかをまるっと無視した見解だと思ってたからだ。

なのにいざ第二主人公に男性を据えられたらあっさり思っちゃったのだ。

「今回の『男の子』はニブいなりに頑張ってんじゃん!」

と。

もう、すげ〜〜〜〜〜悔しい!!!

 

キコニアのなく頃に、自分の中に存在する偏見と向き合わされる恐ろしい怪作だよ……怖い……。

 

地獄の底をのぞいたら【キコニア:サンプル】

取り扱いショップ:https://higuumi753.booth.pm/items/2483203

11/8(日)オンライン開催の07thParty07「黄金郷ペロクンカ騎士団」にて発行予定の『地獄の底をのぞいたら』サンプルです。
見本として第1章約3600文字をフルで掲載致します。全40000字超えと少々長くなっておりますが、ご興味があれば是非宜しくお願い致します。
(ウェブ掲載用に一部の文字色を変更したりしております。同人誌版はモノクロ刷です)

第1章 はじめに(p.3-10)

第2章 キコニアにおける心理学的人物解釈(p.11-43)

第3章 「なく頃にシリーズ」としての位置づけ(p.44-66)

第4章 おわりに(p.67)

Appending. キコニアの「魔女」(p.68-95)

引用文献(p.95-96)

 

第1章 はじめに

第1項 「プレイヤーの席は与えない」?

今作「キコニア(以下、キコニア)」というゲームについて、読者として求められる姿勢は何であろうか。以下に作品紹介を述べる。

“いいえ。惨劇に、抗う必要はありません。駒の仕事は惨劇の渦中に踊ること。ゲームのルール? 難易度? 私たちが決めるし、あんたには関係ない。お前たちは取ったり取られたりして、私たちが喜ぶような喜怒哀楽を見せればいい。いいこと? 勘違いしないことよ。お前は私の対戦相手じゃない。私を楽しませる為の、駒に過ぎないの。今度のゲームは、あんたにプレイヤーの席なんて与えない!”(キコニア『ストーリー』)

前作「うみねこのなく頃に(以下、うみねこ)」においても、作品紹介にGMからのメッセージが掲載されている。

うみねこのなく頃に、ひとりでも生き残っていればね…? 貴方に期待するのは犯人探しでも推理でもない。貴方が“私”をいつ信じてくれるのか。ただそれだけ。推理がしたければすればいい。答えがあると信じて求め続けるがいい。貴方が“魔女”を信じられるまで続く、これは永遠の拷問。”(うみねこ『作品紹介』)

“魔女”を信じてくれることを期待する、というGMの目的が最初から明らかにされている。

おそらくキコニアにおいても、本当に読者にプレイヤーの席は与えられていないのであろう。呼びかけている相手が読者であるという保証も存在しない。「うみねこ」においては碑文の謎というルールが提示され、それを制限時間内に解くことが求められていた。しかし「キコニア」のPhase 1においては何を謎として解き明かせばいいのか明示されていない。まさにプレイヤーの席が与えられていない印象である。

本論では、「キコニア」Phase 1における描写を慎重に精査し、過去作との比較の観点から解釈することによってこの物語を理解するうえでどのような点に着目していけば良いのかを模索していく。

 

第2項 考察可能なポイントの模索

「キコニア」は第三次世界大戦以降の世界(以下、A3W)を舞台にしている。A3Wにおいては、2020年現在では存在しない科学技術が飛躍的に増えている。また、竜騎士07氏が

“『キコニア』は、推理や考察を義務化していない作品になっているんですよ”(週刊ファミ通, 2019, p.45)

と語っている以上、ミステリーとしてフェアである保証はない。「うみねこ」の時のようにノックスやヴァンダインに則っているかという点から考察を進めることは思い込みを助長してしまう可能性がある。

未来の世界の話であり、科学技術的観点から考察することに限界が生じるとしても、数百年程度では変わり得ないものがある。技術の進歩に対して、ヒトの生物学的進化は数万年単位で緩やかに起こる。すなわち、登場人物の心理学的解釈、ホワイダニットを理解することは、今までの「なく頃に」シリーズ同様有効な手段であると思われる

 

第3項 キコニアと心理学
 キコニアPhase 1における心理学関連内容として「ストレス」と「多重人格」がある。以下に概説をおこなう。

 

ストレスに関する概説

キャラクター紹介Tipsなどから、ストレスはA3Wにおいて重要な並列思考能力の適性をあらわす、P3値に大きな影響を与えることが示されている。本項ではストレスについて概説する。

「ストレス」とはもともと工学用語でゆがみの状態を示すものである。ゆがみを生み出している原因と結果を包括的に表す概念であり、前者はストレッサー、後者はストレス反応とされている。ストレスはFigure 1のように、個人的変数である「認知的評価」を挟むとする学説が一般的である(Lazarus & Folkman, 1984)。

認知的評価とは、個人により異なる、ストレッサーに対する有害性やコントロール不可能性の評価である。同じストレッサーに晒されていたとしても、認知的評価が異なる者同士であれば、ストレス反応のあらわれ方が異なる。

例として「友達にメールを送ったのに返事が返ってこない」という状況を考えてみる。この状況自体はストレッサーである。「きっと忙しいのだろう」「もしかして失礼なことを書いてしまっただろうか」などの判断が認知的評価である。落ち込みや不安の上昇は心理的ストレス反応、血圧の上昇などは身体的ストレス反応、過剰な気晴らしやストレッサーからの逃避などは行動的ストレス反応として考えられる。

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Figure 1.ストレス・モデル(Lazarus & Folkman, 1984 をもとに作成)

多重人格に関する概説

先天性パラレルプロセッサー(以下、CPP)のことをジェイデンは以下のように説明している。

“よく知られる多重人格は、脳内のトラウマ情報などを異なる人格を生み出すことでパーテーションで区切り、トラウマの影響を受けない人格を生み出して自分の精神を守る為に起こる、後天的現象である。しかし、極めて稀に、先天的な生まれついての多重人格が発生する。後天的多重人格と異なり、存在する人格が同時に目覚めているのが大きな特徴だ。それは文字通り、1つの体に同時に2人の意識があることになる。2人はそれぞれ別のことを考え、別のことに注視することが出来る。”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

“多重人格という言い方は当事者を傷付けるとして、現在では先天性PP(パラレルプロセッサー)と呼んでいる……。”(キコニアPhase 1第4章『パラレルプロセッサー』)

しかし、先天性の多重人格などというものは生物的メカニズム上自然には存在しえない。そもそも人格というもの自体が生まれつき存在するものではないためだ

人格は心理学用語では一般的にパーソナリティと呼ばれることが多い。辞書的定義は“人の,広い意味での行動(具体的な振る舞い,言語表出,思考活動,認知や判断,感情表出,嫌悪判断など)に時間的・空間的一貫性を与えているもの”(神村,1999)である。パーソナリティの語源はペルソナ(persona:仮面)である。つまり生得的に固定の人格というものが存在するというより、外界の環境に適応するために獲得されていくものであるという考えが一般的である。「うみねこ」においても、右代宮理御が右代宮夏妃に受け入れられて育ったカケラとそうでないカケラとでは著しい差が生じていたことを考慮すればイメージしやすいと思われる。

ゆえにキコニアPhase 1作中内で存在しているCPPによる多重人格の状態は、人間の自然な現象ではない。何らかのSF技術により発生した状態か、提示されている情報にごまかしが含まれている可能性が高い。たとえば「CPPとは生まれつき何らかの方法により外的に植え付けられたプログラムである」といった説も採択しうる。そのような仕組みであるならば、「都雄は清廉潔白な人物だが、プログラムとして植え付けられた未知の人格が殺し合いを望んでおり惨劇を起こしている」といった可能性も否定しきれない。そのため心理学的解釈についてはこの章では一旦保留とする(※本書ののちの章で取り扱います)

ちなみにキコニアPhase 1中でも挙げられていた「よく知られる多重人格」は、正式名称では解離性同一性障害と呼ばれている。解離性同一性障害精神疾患の分類と診断の手引(DSM-Ⅳ-TR)』にて、以下のように定められている。
“A. 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性またはパーソナリティ状態の存在(そのおのおのは、環境および自己について知覚し、かかわり、思考する、比較的持続する独自の様式をもっている)
B. これらの同一性またはパーソナリティ状態の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する
C. 重要な個人情報の想起が不能であり、それは普通の物忘れでは説明できないほど強い
D. この障害は、物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)またはほかの一般身体疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理学的作用によるものではない
注:子供の場合、その症状は、想像上の遊び仲間またはほかの空想的遊びに由来するものではない”(American Psychiatric Association,2000)

この疾患は、トラウマティックな体験をした人物がその経験から受けたストレス反応を切り離すこと(解離)が主症状である。人格が複数生じることはその結果に過ぎない。パラレルプロセッサーにおいて人格が複数あることが有利なのは並列思考を分担しておこなえるためである。基本的に他の人格が認識していることを主人格が認識できない解離性同一性障害は、パラレルプロセッサーの適性を高めはしない。「トラウマティックな体験をさせて後天的な多重人格にすることによってP3値を高める」といった取り組みは功を奏さないということである(とはいえ、A3Wにおいて実験的におこなわれている可能性は否定できない)。

本章をまとめると、一般的に「ストレス」とまとめられているものは、ストレス→認知的評価→ストレス反応に区別できる。ストレス反応には心理的・身体的・行動的ストレス反応が存在する。CPPはメカニズム上存在しない疾患であり、何らかの科学技術やごまかしが混入している可能性が高いということである。以上を踏まえて、第2章では現時点で解釈が可能な人物についての掘り下げをおこなう。

ひぐらし業:鬼騙し編のレナ

ひぐらし業4話を視聴した。
ショッキングな展開に対して、Twitterで話題になっていたのは以下のような点だった。
「レナにしては殺しのやり口が手ぬるすぎる」
「圭一の生命力強靭すぎ」
「事件現場では圭一は頭部をケガしていないが入院中の圭一は頭部に包帯がある。実は圭一が刃物を持っていて、時計で抵抗したのはレナなのでは?」
「レナしか観測者がいない状態でお重の中身が晒されているからあの重箱の中身自体は事実なのでは」
※カーテン越しに圭一がレナに話しかけているシーンでは、圭一はレナに対して疑心暗鬼を抱いていない。圭一の雛見沢症候群の発症による誤認として説明するのは無理がある。
「死体をバラしたり保管するための器具しかない、凶器は持ってきていない」
また、殺害が理由であれば圭一の意識があるうちに死体解体キットをわざわざ開封するのもおかしな話である。

 

先日の記事

で主張したように、現在「鬼騙し編の竜宮レナ前原圭一と同様、別のカケラの記憶がフラッシュバックしていた」という説を採用している。この説を発展させて思い浮かんだ仮説なのだが。

鬼騙し編の竜宮レナは、過去の記憶のフラッシュバックも手伝って「圭一が死体を隠していると思い込んでしまい手伝おうとしていたのではないか?

「圭一くん――この前ゴミの山で何か隠したよね?」
「圭一くん――今日車の中で話をしてたよね? 知らないおじさんと。誰? あのおじさん」
「レナは頑張ったよ!? すごいすごい頑張り物語だったよ!? ……ね? 圭一くんに嘘や隠し事があるように――レナにだってあるんだよ?」

頑張り物語という言葉は明らかに罪滅し編を想起させるものである。
「このカケラのレナは既に裏山で間宮リナを殺害しており、圭一がその証拠を持っていると誤認している。そして刑事の追跡を避けている」という仮定が一見可能である。しかし、自らの犯行の証拠を掴んでいるかもしれないと疑っている相手に対して「圭一くんに嘘や隠し事があるようにレナにだってある」と主張することは、やや合理性を欠いている

「レナは圭一が人を殺してしまっていると思い込んでいる」という仮定に基づいたらどうだろうか。上記3つの台詞はつまり、こう解釈することも可能なように思う。

圭一くん、この前ゴミの山で死体を隠したよね?
圭一くん、刑事の人と話してたよね? もしかして疑われて困ってるんじゃない?
レナも前に(別のカケラで)どうしようもなく追い詰められて人を殺してしまったことがあったよ

つまり、「もしもどうしようもない理由で人を殺してしまって困っているなら自分を頼って欲しい」というメッセージである。

しかし圭一はどんどん追い詰められ体調を崩して学校にも顔を出さなくなっていく。レナは自分が恐怖を与えていることなどつゆ知らず、「圭一くんがどんどん追い詰められてるどうしよう」と心配で心配でたまらなくなる。

そこに圭一の母親から、食事の世話を頼まれた。父母の不在によりまるまる一晩使うことができる。絶好の機会だと考え、圭一ではなく周囲の目を盗めるように死体処理のための道具を重箱いっぱいに詰め込んで運搬する。ちゃんと道具が整っていることを伝えるために、重箱の中身をきっちりと開封していく。そのタイミングで圭一がレナの様子を見て、ギリギリのところで踏みとどまっていた雛見沢症候群の症状が一気に悪化。幻覚・幻聴により「レナはやっぱり自分を殺そうとしているんだ」と思い込んでしまう

鬼騙し編のレナが人を殺してしまっている(自分自身の誤認含む)のであれば「今年のオヤシロ様の祟りは圭一を殺して自分が消えてこれで成立」という言動も矛盾する。人を殺していないのであれば圭一を殺す動機も希薄になる。

なお、レナの父親の事情に関しても、「圭一の知りえない情報」とは断言できない。散々鬼隠し編でレナを殺した時の感触を思い出したように、強い疑心暗鬼にかられた結果罪滅し編でのレナの事情を断片的に連想してしまい「レナは父親が理由で人を殺す可能性がある」という最悪な連想をしてしまったとしてもおかしくはないのだから。

 

今後圭一はどうすればよいのか?

鬼騙し編の圭一は、疑心暗鬼を払拭しようと瀬戸際まで試みていた。そういった意味で明らかに鬼隠し編の圭一とは異なる。しかし、罪滅し編の圭一ほどしっかり対応できていたとは言い難い。
ひぐらしはそもそも「困った時は誰かに相談しよう、ちゃんと話し合おう」というメッセージ性が強く込められた作品である。ところが鬼騙し編の圭一は、梨花の「間違っているのは圭一自身の主観だ」という言葉を単純に信じ、レナ相手に「全部自分の誤解だった、悪いことをした」と一方的に伝えた。疑心暗鬼は思い込みで生じるが、妄信もまた思い込みである。レナの言動に違和感があるならばそのことをしっかり伝えて話し合うべきだったのではないだろうか? 仲間として信頼しているのであればなおさらである。

 

綿騙し編以降の展開を楽しみにしていきたい。

ひぐらし業:レナの挙動は?

ひぐらしのなく頃に業。第2話よりカケラ世界が描写され、今までのストーリーとはことなるまったく新しい「鬼騙し編」であることが明らかにされた。

「鬼騙し編」に関する主な考察として、3話目放送後の現在、メジャーなものは以下の通りである。

レナは既にリナや鉄平らを殺害しており、圭一が自分の犯行の痕跡を発見したと怪しんでいる

確かに「鬼騙し編」のレナには従来の「鬼隠し編」とは異なる行動がいくつもみられた。

・体の不調による早退(発症の証拠?)
・綿流しの際の物陰から富竹らをうかがう様子(圭一の言動からスパイと疑っている?)
・「頑張り物語」への言及(罪滅し編の要素だとすると「既にリナらを殺している」?)

また圭一の行動にも違いがみられる。

・1話目でバットで撲殺してしまったときの記憶がフラッシュバックしている
・疑心暗鬼になっている様子が現在あまりみられない

「鬼騙し編では、レナが完全にシロだった鬼隠し編と異なり既にリナらを殺してしまった」と考えると筋は通る。

 

筋は通るのだが、あえて、別の角度から説明を試みたい。
というのも、もしもレナが今回もシロだった時に、竜騎士07先生がたいそうにこやかな笑顔で、

ああ~! あんなに疑わないと誓ったはずのレナのことをまた疑ってしまったんですか!? 『ひぐらし』では仲間を信じる心が大事なのに!

と仰る姿が目に浮かぶようだからである。
また、ゾンビ鬼の際の「レナだけゾンビにならない」という描写が「レナは今回は発症しない」ということの比喩、というのもありうるように思う。
魅音の「フリをして生き残る」というのも、彼女が「フリ」をできる人物であることや「鬼隠し編では殺されてしまっていた」ことをも考えると興味深い点だが……)

 

注目したいのが
・圭一は1話目でバットで撲殺してしまったときの記憶がフラッシュバックしている
という点だ。
基本的に、「別のカケラの記憶」というのはややファンタジーな要素である。しかし、既に圭一視点でその要素が描写されている以上、業では推理の一部にファンタジーを含むことが許されている、と仮定する。

圭一と似たような現象がレナにも起きていたとしたら、どうなるだろうか。

レナが鬼隠し・綿流し・罪滅しのカケラの記憶をちょっとずつだけフラッシュバックしてしまっている

としたらどうなるだろう?

・別のカケラの惨劇の記憶が断片的に流れ込んできていたら不審な挙動になるのも頷ける
綿流し編では「圭一が富竹・鷹野と祭具殿に行った」ことがきっかけで惨劇に巻き込まれ、最終的にレナ以外全員死んだり転校したりで仲間がバラバラになった。もしその記憶があれば富竹・鷹野の挙動を気にすることは十分あり得る
・「頑張り物語」への言及。このカケラで自らがおこなったことについてであるという確証はない。もしかしたら罪滅し編でのやりとりそのものを示唆して想起させようとしている?

そもそも圭一が鬼隠し編ほどではない軽微な発症をしている可能性もゼロではない。アニメ・コミカライズともに、レナの挙動に関してはともかく、魅音の「なかった」という発言にも引っかかりを感じていた。
またコミカライズ版ではレナの「嘘だ」のくだりでは、旧コミカライズにて聞き手が発症した際に使用されていた黒枠の吹き出し文字が使用されている。前作通り雛見沢症候群があるのであれば、今回もまた同じように解釈が可能である……と言えるかもしれない。

これから放送される4話目にて誰が誰をどのような経緯で殺してしまい惨劇が起きるのか、そもそも惨劇が起きるのかどうか、という点で大きく観点が変わると思われる。

CPPとは結局何なのか?

以前の記事ではCPPが「重婚禁止のAOU」において、別人と呼べるレベルの存在であるか大いに疑わしいことを述べた。この記事を前提としているため、事前にご覧いただければ幸いである。
 本記事では以前の記事の疑念に基づき、「では何のためにCPPは別人格を演じるのか」という点を更に掘り下げて考えたい。特に、Phase1内において最も描写の多い、御岳都雄におけるミャオの存在意義について考える。

ミャオとジェイデンのやりとりは、随所に漠然とした温度差を感じさせる。初回プレイ時に「ミャオは何かたくらみがあってジェイデンに接近したのではないか」という邪推を抱いた一因であろうと思う。

(以下はかなり印象論によった、現在は没扱いにしている考察である)

 

さまざまな点を考慮して、ある仮説が浮かんだ。

御岳都雄はジェイデンに恋をしているがそれは現在、生涯一度の命懸けの恋というレベルの想いではない」そして、「御岳都雄は恋愛にプラトニックな関係性は特に望んでいない」という仮説である。

一見薄情なようではあるが、恋愛感情とは多くの人間にとってはそのような段階から始まり、その程度で終わることも多いものである(命を賭けてプラトニックな恋をしていた安田紗代を基準にしてはいけない。重ね重ね、彼を安田紗代と比較することは適さない)。

【リーテバイル】「ふむ。ジェイデンには異性との性交渉を目的に交際を求める権利もある訳だからな」
【ナオミ】「リーテバイルに同感です。目的が果たせない相手ならば、ジェイデンにはその為の労力を、他の女性の為に費やす権利があります」

この辺り、ついジェイデン側が性交渉を望んでいるかという点にばかり焦点が当てられているが、同じことはミャオについても言えることだ。ジェイデンが性交渉を理由に交際を求める権利があるのと同様に、都雄にも性交渉を理由に交際を求める権利がある

更に、ジェイデンをガッカリさせてしまうことやフられることが心底怖くて言い出せない……という臆病さが理由であるならば、
【ジェイデン】「だからさ。俺は、無理に聞いたりしないよ」
という発言に対し
【ミャオ】「そうなんだ」
程度の反応ではなく、もっと喜んでいたであろう。

つまりミャオが頑なに身体の性別を明かすことに拘っていたのは、ジェイデンが「男性相手に性欲を抱けるのか」を確認するためなのではないだろうか? ジェイデンが身体目当てか否かをテーマに盛り上がっている女性陣の前で、「ジェイデンが性欲を抱けないなら自分のほうにこそ交際する気がない」とキッパリ言うのはかなり憚られるであろう。

【ミャオ】「い、いや、そういうのじゃなくて! み、みんな、色々と心配したりしてくれてありがとう……! べ、別にね?! ジェイデン君が失望するような性別だから言いたくないとか、そういう訳じゃないの! これはその、私の、私たちの問題」

と大慌てになるのも道理である。

 

そしてこの仮説を採用する場合、常々疑問であった「なぜ都雄はミャオを別人格として扱いたがっているのか」という点に関する説明が非常に容易である。

都雄は、相棒としてのジェイデンを最高に居心地のよい存在だと感じているのである。都雄が直接ジェイデンに「性交渉を前提にした交際」を申し出ることは、都雄からすると非常に失うものが多い。成功しても失敗しても、今までの関係を維持するのはかなり厳しい。

恋をしているのが別人格のミャオということにすればどうだろうか? ジェイデンが都雄に性欲を抱けなかった場合、ミャオとして振る舞うことさえやめれば、相棒としての関係性を維持することはたやすい。別れて別の誰かと恋人になったとしても気まずくならない。都雄にとって失うものが何もない。つまり現在、都雄は生涯一度の真剣な恋のつもりも、既にジェイデンに対して責任が発生しているという認識もない。非常にその場しのぎの行動であるという説である(余談だが、この行動は彼の騎士団に対する姿勢とも符合する。大浴場騎士団に多くの人を巻き込み、バレたらあっという間にやめ、やめただけでどうにでもなると思っているフシがある。自分自身の行動が与える影響をあまり意識できていないのである)。

とはいえ、都雄にも弁護の余地はある。二人のデートにおいて積極的に誘っているのは主にジェイデンである。秘めた恋心を察されたうえ、ジェイデン自身の態度も変わった。「チャンスを感じてしまったのでつい魔が差した」というには十分であるように思う。AOUという社会が同性愛を許容していても、依然として社会の10%ほどのマイノリティでもある。慎重になるだけの理由は揃っている。
また、たとえば都雄がジェイデンよりも前に誰か同性の友達を好きになって関係が壊れてしまった経験があったら、ワンクッション置くようにするのは社会的配慮とも言えるかも知れない。
ただ、ジェイデンが、都雄のこともミャオとの恋愛のことも重く捉えているようであるのにこうしたズレが生じているのであれば、やはり都雄側が不誠実ということになる。

 

まとめると「両立させることが困難である状況」を人格が違うということにして切り分け、「ヒかれたら切り捨てる」やりかたをしているのがCPPの「人格」の正体のように思う。

そうした観点から各ガントレットナイトの行動を見直すと、ルクシャーナは、ドン引きされないようにふだん性格を抑制してる描写が明確にある

クロエは、コーシュカやリリャに小此木を中傷された際、黒エと記憶を共有していないようにふるまう「発言」もある。ならば解離性同一性障害が疑えるだろうか? しかし、クロエの一人称視点で記憶の欠落は描写されていない。遥かにストレスフルなはずの戦場の場でも冷静さを欠いたような様子はあまり見られない。「本当は人を脅したりコントロールするのも得意だが、人の上下を作りたくないのでヘタレとして振る舞っているほうが本人にとって気楽であり普段はセーブしている」というほうがしっくり来る。

ナイマもクロエに近く、実はキリっとした性格の方が素である、というと納得がいく。何しろ彼女も、デートの時に小さめの靴を履いて意中の人物の気を惹くという発想が浮かぶ程度には世間ずれしている。無知な人物が知識があるようにふるまうことは難しいが、知識がある人物が無知であるかのようにふるまうことはまったく難しくはない。

 

CPPであると明言されている人物に関する描写が都雄に偏っていることから、今後いくらでも覆されてしまう可能性はある。

ただ、この記事でまとめたようにCPPそれ自体が陰謀とは関係のない存在であったとしても、

こちらに記載しているように、「あえてCPPという概念を登場させることにより相対的に強い意味づけがなされた人物」も存在する。そのため「CPPが戦争や陰謀と無関係の存在であるなら描写された意味がないので必ず何らかの意味が付与されているはずである」とは言い切れないことのみ主張したい。

AOUは〇婚禁止

CPPを『うみねこ』における「我ら」の人格と似たようなものと解釈するのに無理のある根拠を発見したため、備忘録として書き留める。

ギュンヒルドが作中において、以下の発言をしている。

“まるで、結婚願望のある相手に対し、既婚者が独身を装って交際するかのようなアンフェアかもしれませんです”(キコニアPhase 1第7章『三人の王』)

既婚者が結婚願望のある相手と交際することがアンフェアであるというなら、AOUは重婚禁止」である可能性が高い
ジェイデンとミャオの結婚話において「AOUで同性同士の結婚が可能か否か」という観点から語られている以上、CPPであっても精神の性別ごとに戸籍が設けられている可能性はあまり高くない。ジェイデンがミャオと結婚するということは御岳都雄と入籍することを示していると思われる。
にも関わらず「結婚は『ジェイデンとミャオの二人』のこと」であるというのだ。御岳都雄の戸籍は一つしかなく、重婚が禁止されている。ミャオがジェイデンと結婚した場合、都雄は誰とも結婚できなくなってしまう。ミャオの結婚は「ジェイデンと二人の問題」ではなく「都雄の問題でもあるはず」なのであるにも関わらず、誰一人都雄の意志を問題にしていない。都雄のことを「大好きです」と評しているギュンヒルドまでが都雄の人権を無視するようなおこないをするだろうか? Phase 1では二人が同性であるかどうかにばかり焦点が当たっているが、前作『うみねこ』において性別などより重要視されていた「魂が一つに満たない問題」が看過されている。

CPPにおいて、別の人格同士が異なる人物を好きになることは基本的に生じえない」とすると矛盾がないように思う。「ミャオはプライベートな部分を請け負うペルソナ」で、「都雄は仕事にプライベートを持ち込みたくないタイプ」なのではないか。『うみねこ』の例で考えるなら「我ら」より「次期当主の妻としての重責から解放された朱志香の一側面としてのジェシ」に近い。

Phase 1時点においてCPPに関する説明は、ほとんどが「世間の暗黙の了解」とジェイデンの一人称視点での憶測による。ジェイデンは暗黙の了解を察知できるタイプではなく、おそらく矛盾にも気付いていない。ジェイデンひとりが混乱して「二人はたまたまクラスが同じになっただけの他人レベルで別の存在」と認識してしまっている可能性は高い。何しろ、都雄とミャオの人格の切り替えを目の前で見ており、都雄とミャオ両方とコミュニケーションを取っているはずのモンパのマスターでさえ、

“【マスター】「羨ましいね、あのアツアツのお二人」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

と言っており都雄とミャオを別の人物としてカウントしていない。

 

なお余談として御岳都雄の肉体の性別についてだが、男性である可能性が極めて高い

“ははは、あっははははは、やっぱり我が息子はカワイイなぁ。”(キコニアPhase 1第14章『平和の価値と本当の重み』)

幼少期に裸を見ている藤治郎が主観視点で「息子」と言っている。もちろん、これだけでは論拠として乏しい。都雄が性同一性障害の女性であり、藤治郎は都雄の精神の性別を尊重している……などといった可能性も考えられる。
ただ、都雄の繊細な個人的事情に配慮するとは思えないセシャト・ジェストレスも都雄のことを一貫して「息子」と呼称している。さらに都雄の肉体性別をおそらく知っているであろう「母」も、

”きっとそれをあなたは、僕をお母さんの目的の為だけの駒に使うなと、怒るでしょうね……。”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

と、男子として扱っている。

また、

“お兄ちゃんが、華奢で女みたいな身体って言われるのは、単にお兄ちゃんが運動とかしないからじゃん!”(キコニアPhase 1第6章『人格混同の人権侵害』)

とのミャオの台詞もある。「女みたいな身体」という表現は女性に対してはまず使わないだろう。

Phase 1現在で、容姿が中性的であることとジェイデンの混乱以外に御岳都雄の肉体の性別が女性であることを示す根拠は、一切存在しないそしてジェイデンの主観は非常に疑わしい

なく頃にシリーズの第二主人公について

ジェイデンがキコニアの『メインヒロイン』です!」と主張すると誠に遺憾ながら草を生やされることが多かった。そこで、筆者がどれだけ真面目に「ジェイデンが『非常になく頃に第二主人公らしい生育環境や行動パターンや思考回路をしている』」と考えているかを示すべく、歴代の第二主人公と比較してみた。

 

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正直こんなにたくさん挙がるとは思っていなかった。たぶん罪滅しEP7あたり真面目に再プレイしながら比較したらもっといろいろ共通項が生じる可能性あるのでは?
逆に都雄をレナベアトと比較することは非常に困難である。都雄は少し素直じゃないくらいで、自分自身の感情への認識が明瞭で困りごとが生じた時に即座に友人を頼れている。また既にジェイデンに対して一方的に甘えて寂しさを紛らわすという<不誠実>もおこなっている(「兄弟の日」の記事参照)。
ただ可愛がられるだけの存在であることを望まず、対等な相棒でありたいというなら、自分一人では解決できないジェイデンの精神状態を都雄が助けるほうが自然なように思う。

ともあれレナにしろベアトにしろ、複雑なパーソナリティをしていたのは、当該社会における問題提起をする立場にあったことと密接に関わりあっている。言い換えれば第二主人公はなく頃にシリーズのテーマ性を背負わされがちともいえる。
ジェイデンが第二主人公だとするとキコニアのテーマは「隠蔽してきた結果悲惨な状態になってしまったものをそのまま引き延ばし続けるのは良くない」であろうか。「プレイヤーの席は与えない」=謎が出題されない状態になっていることとの整合性もつく。また、肉体不要論を自ら率先して選択するようなことを言っていたが、本人が気付いているかは不明だが、行動や身体の変化から感情を把握している人物が肉体を失ったら非常にマズイことになるNo more肉体不要論!


2020年5月14日追記:
先日07th大浴場2020小冊子が公開され、ちょうどレナとベアトがキコニアのウォーキャット達と交流する機会があった。
https://07th-expansion.net/archives/4211
作中で二人と会話が多いのは都雄だが、都雄は二人とうまくコミュニケーションが取れているとは言い難かった。何しろ「二人にガントレットを着けてもらおう」と提案する気でいたにも関わらず提案をするスキすらないままセクハラ発言を浴びまくった挙句、爆速でベアトに更衣室に送り込まれてしまった。ギュンヒルドの言う通り、「役者が違う」。さらにリサーチをサボって練習もせず負けた挙句「恥ずかしいから」というワガママで約束を破るという行動をとっている(※都雄が本当にミャオとは「別人」と主張するのであれば、約束を破った挙句妹に押し付けたことになってしまう。どう考えても悪いのは都雄である)
対するジェイデン。よく見ると二人の協力を楽々取り付け、ベアトに至っては積極的に後押しをしている。しかもジェイデンは「俺はお前を辱める為ならどんな努力も厭わねぇんだよ!!」と宣言したうえでその宣言に恥じぬよう地道にリサーチと練習を重ね、ピンチも機転で乗り越えている。(おバカな目的も含めて)目的のために努力を惜しまないこの姿勢はまさに「第二主人公らしさ」だと感じた。