ちとせあめ

なごみ(@higuumi753)07th expansion様の作品について、長文になりがちな考察をメインにアップしていきます。新規情報の追加や新たな視点からの考察の結果記事同士が多少矛盾することもあるかと思いますがお目溢し頂ければ幸いです。

AOUは〇婚禁止

CPPを『うみねこ』における「我ら」の人格と似たようなものと解釈するのに無理のある根拠を発見したため、備忘録として書き留める。

ギュンヒルドが作中において、以下の発言をしている。

“まるで、結婚願望のある相手に対し、既婚者が独身を装って交際するかのようなアンフェアかもしれませんです”(キコニアPhase 1第7章『三人の王』)

既婚者が結婚願望のある相手と交際することがアンフェアであるというなら、AOUは重婚禁止」である可能性が高い
ジェイデンとミャオの結婚話において「AOUで同性同士の結婚が可能か否か」という観点から語られている以上、CPPであっても精神の性別ごとに戸籍が設けられている可能性はあまり高くない。ジェイデンがミャオと結婚するということは御岳都雄と入籍することを示していると思われる。
にも関わらず「結婚は『ジェイデンとミャオの二人』のこと」であるというのだ。御岳都雄の戸籍は一つしかなく、重婚が禁止されている。ミャオがジェイデンと結婚した場合、都雄は誰とも結婚できなくなってしまう。ミャオの結婚は「ジェイデンと二人の問題」ではなく「都雄の問題でもあるはず」なのであるにも関わらず、誰一人都雄の意志を問題にしていない。都雄のことを「大好きです」と評しているギュンヒルドまでが都雄の人権を無視するようなおこないをするだろうか? Phase 1では二人が同性であるかどうかにばかり焦点が当たっているが、前作『うみねこ』において性別などより重要視されていた「魂が一つに満たない問題」が看過されている。

CPPにおいて、別の人格同士が異なる人物を好きになることは基本的に生じえない」とすると矛盾がないように思う。「ミャオはプライベートな部分を請け負うペルソナ」で、「都雄は仕事にプライベートを持ち込みたくないタイプ」なのではないか。『うみねこ』の例で考えるなら「我ら」より「次期当主の妻としての重責から解放された朱志香の一側面としてのジェシ」に近い。

Phase 1時点においてCPPに関する説明は、ほとんどが「世間の暗黙の了解」とジェイデンの一人称視点での憶測による。ジェイデンは暗黙の了解を察知できるタイプではなく、おそらく矛盾にも気付いていない。ジェイデンひとりが混乱して「二人はたまたまクラスが同じになっただけの他人レベルで別の存在」と認識してしまっている可能性は高い。何しろ、都雄とミャオの人格の切り替えを目の前で見ており、都雄とミャオ両方とコミュニケーションを取っているはずのモンパのマスターでさえ、

“【マスター】「羨ましいね、あのアツアツのお二人」”(キコニアPhase 1第9章『モンスターパーティ』)

と言っており都雄とミャオを別の人物としてカウントしていない。

 

なお余談として御岳都雄の肉体の性別についてだが、男性である可能性が極めて高い

“ははは、あっははははは、やっぱり我が息子はカワイイなぁ。”(キコニアPhase 1第14章『平和の価値と本当の重み』)

幼少期に裸を見ている藤治郎が主観視点で「息子」と言っている。もちろん、これだけでは論拠として乏しい。都雄が性同一性障害の女性であり、藤治郎は都雄の精神の性別を尊重している……などといった可能性も考えられる。
ただ、都雄の繊細な個人的事情に配慮するとは思えないセシャト・ジェストレスも都雄のことを一貫して「息子」と呼称している。さらに都雄の肉体性別をおそらく知っているであろう「母」も、

”きっとそれをあなたは、僕をお母さんの目的の為だけの駒に使うなと、怒るでしょうね……。”(キコニアPhase 1第25章『預言の刻』)

と、男子として扱っている。

また、

“お兄ちゃんが、華奢で女みたいな身体って言われるのは、単にお兄ちゃんが運動とかしないからじゃん!”(キコニアPhase 1第6章『人格混同の人権侵害』)

とのミャオの台詞もある。「女みたいな身体」という表現は女性に対してはまず使わないだろう。

Phase 1現在で、容姿が中性的であることとジェイデンの混乱以外に御岳都雄の肉体の性別が女性であることを示す根拠は、一切存在しないそしてジェイデンの主観は非常に疑わしい