CPPとは結局何なのか?
以前の記事ではCPPが「重婚禁止のAOU」において、別人と呼べるレベルの存在であるか大いに疑わしいことを述べた。この記事を前提としているため、事前にご覧いただければ幸いである。
本記事では以前の記事の疑念に基づき、「では何のためにCPPは別人格を演じるのか」という点を更に掘り下げて考えたい。特に、Phase1内において最も描写の多い、御岳都雄におけるミャオの存在意義について考える。
ミャオとジェイデンのやりとりは、随所に漠然とした温度差を感じさせる。初回プレイ時に「ミャオは何かたくらみがあってジェイデンに接近したのではないか」という邪推を抱いた一因であろうと思う。
(以下はかなり印象論によった、現在は没扱いにしている考察である)
さまざまな点を考慮して、ある仮説が浮かんだ。
「御岳都雄はジェイデンに恋をしているがそれは現在、生涯一度の命懸けの恋というレベルの想いではない」そして、「御岳都雄は恋愛にプラトニックな関係性は特に望んでいない」という仮説である。
一見薄情なようではあるが、恋愛感情とは多くの人間にとってはそのような段階から始まり、その程度で終わることも多いものである(命を賭けてプラトニックな恋をしていた安田紗代を基準にしてはいけない。重ね重ね、彼を安田紗代と比較することは適さない)。
【リーテバイル】「ふむ。ジェイデンには異性との性交渉を目的に交際を求める権利もある訳だからな」
【ナオミ】「リーテバイルに同感です。目的が果たせない相手ならば、ジェイデンにはその為の労力を、他の女性の為に費やす権利があります」
この辺り、ついジェイデン側が性交渉を望んでいるかという点にばかり焦点が当てられているが、同じことはミャオについても言えることだ。ジェイデンが性交渉を理由に交際を求める権利があるのと同様に、都雄にも性交渉を理由に交際を求める権利がある。
更に、ジェイデンをガッカリさせてしまうことやフられることが心底怖くて言い出せない……という臆病さが理由であるならば、
【ジェイデン】「だからさ。俺は、無理に聞いたりしないよ」
という発言に対し
【ミャオ】「そうなんだ」
程度の反応ではなく、もっと喜んでいたであろう。
つまりミャオが頑なに身体の性別を明かすことに拘っていたのは、ジェイデンが「男性相手に性欲を抱けるのか」を確認するためなのではないだろうか? ジェイデンが身体目当てか否かをテーマに盛り上がっている女性陣の前で、「ジェイデンが性欲を抱けないなら自分のほうにこそ交際する気がない」とキッパリ言うのはかなり憚られるであろう。
【ミャオ】「い、いや、そういうのじゃなくて! み、みんな、色々と心配したりしてくれてありがとう……! べ、別にね?! ジェイデン君が失望するような性別だから言いたくないとか、そういう訳じゃないの! これはその、私の、私たちの問題」
と大慌てになるのも道理である。
そしてこの仮説を採用する場合、常々疑問であった「なぜ都雄はミャオを別人格として扱いたがっているのか」という点に関する説明が非常に容易である。
都雄は、相棒としてのジェイデンを最高に居心地のよい存在だと感じているのである。都雄が直接ジェイデンに「性交渉を前提にした交際」を申し出ることは、都雄からすると非常に失うものが多い。成功しても失敗しても、今までの関係を維持するのはかなり厳しい。
恋をしているのが別人格のミャオということにすればどうだろうか? ジェイデンが都雄に性欲を抱けなかった場合、ミャオとして振る舞うことさえやめれば、相棒としての関係性を維持することはたやすい。別れて別の誰かと恋人になったとしても気まずくならない。都雄にとって失うものが何もない。つまり現在、都雄は生涯一度の真剣な恋のつもりも、既にジェイデンに対して責任が発生しているという認識もない。非常にその場しのぎの行動であるという説である(余談だが、この行動は彼の騎士団に対する姿勢とも符合する。大浴場騎士団に多くの人を巻き込み、バレたらあっという間にやめ、やめただけでどうにでもなると思っているフシがある。自分自身の行動が与える影響をあまり意識できていないのである)。
とはいえ、都雄にも弁護の余地はある。二人のデートにおいて積極的に誘っているのは主にジェイデンである。秘めた恋心を察されたうえ、ジェイデン自身の態度も変わった。「チャンスを感じてしまったのでつい魔が差した」というには十分であるように思う。AOUという社会が同性愛を許容していても、依然として社会の10%ほどのマイノリティでもある。慎重になるだけの理由は揃っている。
また、たとえば都雄がジェイデンよりも前に誰か同性の友達を好きになって関係が壊れてしまった経験があったら、ワンクッション置くようにするのは社会的配慮とも言えるかも知れない。
ただ、ジェイデンが、都雄のこともミャオとの恋愛のことも重く捉えているようであるのにこうしたズレが生じているのであれば、やはり都雄側が不誠実ということになる。
まとめると「両立させることが困難である状況」を人格が違うということにして切り分け、「ヒかれたら切り捨てる」やりかたをしているのがCPPの「人格」の正体のように思う。
そうした観点から各ガントレットナイトの行動を見直すと、ルクシャーナは、ドン引きされないようにふだん性格を抑制してる描写が明確にある。
クロエは、コーシュカやリリャに小此木を中傷された際、黒エと記憶を共有していないようにふるまう「発言」もある。ならば解離性同一性障害が疑えるだろうか? しかし、クロエの一人称視点で記憶の欠落は描写されていない。遥かにストレスフルなはずの戦場の場でも冷静さを欠いたような様子はあまり見られない。「本当は人を脅したりコントロールするのも得意だが、人の上下を作りたくないのでヘタレとして振る舞っているほうが本人にとって気楽であり普段はセーブしている」というほうがしっくり来る。
ナイマもクロエに近く、実はキリっとした性格の方が素である、というと納得がいく。何しろ彼女も、デートの時に小さめの靴を履いて意中の人物の気を惹くという発想が浮かぶ程度には世間ずれしている。無知な人物が知識があるようにふるまうことは難しいが、知識がある人物が無知であるかのようにふるまうことはまったく難しくはない。
CPPであると明言されている人物に関する描写が都雄に偏っていることから、今後いくらでも覆されてしまう可能性はある。
ただ、この記事でまとめたようにCPPそれ自体が陰謀とは関係のない存在であったとしても、
こちらに記載しているように、「あえてCPPという概念を登場させることにより相対的に強い意味づけがなされた人物」も存在する。そのため「CPPが戦争や陰謀と無関係の存在であるなら描写された意味がないので必ず何らかの意味が付与されているはずである」とは言い切れないことのみ主張したい。