なく頃にの《地獄》と《煉獄》
※本記事にはキコニアだけでなくうみねこ咲のバレを含みます
作中で歴史に学べとも言われたので、キコニアを過去のなく頃にの歴史、特に同時発売にこだわられていた「うみねこのなく頃に咲」との比較から考えてみる。
わかりやすいところではLastnoteにて「忘れられることは尊厳を冒涜する」という話が出ていた。
ただそうした分かりやすい伏線だけでなく、うみねことキコニアには構造の類似性と対照性が存在している。
キコニアの《地獄》を生んでいるGMの所在地だが、地の底の千年タイムカプセルの中である可能性が高い。地獄で千年といえば黙示録には「サタンが閉じ込められる」という話があるが、おそらくもう一つ意味づけが付与されている。それは『神曲』の中で最も重罪の地獄である「地の底にサタンがいる第九圏氷地獄のコキュートス」である。おそらくGMであろうキコニアOP2番に「凍りついた魂」とあることとも符号するし、OPムービーの最後でも青い光に包まれたガントレットナイトが地下深くまで潜っていく姿が描写されている。今回の青イメージカラー担当はジェイデンであり、直前の場面でもジェイデンが青い光で描写されている。
うみねこ出題編のGMは「わずかな希望に賭けて理解してもらえることを望んでゲーム盤を構築して煉獄山の頂点で千年待ち、主人公に難解な謎の中にヒントを込めていた」。
キコニアPhase1のGMは「状況に完全に絶望して誰かから理解されることも放棄しておりただ現状維持のためだけにゲーム盤を構築して地の底に千年引きこもろうとしており、主人公に自らの状況を隠蔽しまくっている」。
それでいてどちらのGMも必死である。「GMはいつでも必死! いい加減な動機だと疑うな!」というメッセージは大変親切なことにPhase1と同時発売のLastnoteにて戦人がはっきり語ってくれている。
嫁へのクソデカ感情だけじゃなく後輩へのメッセージでもあったのだ。戦人、めちゃくちゃ有能になったなあ……としんみりしてしまう。
なお、なく頃にシリーズにおいては「実際に起こっている現象を装飾する」システムがある。これもうみねことキコニアでは対照的である可能性が高い。
うみねこにおいては「魔法装飾」であったが、キコニアにおいては「フィルターとアバター」だろう。
フィルターやアバターはあくまで、周囲に対して状況を隠したり発言をごまかすためのものである。何より、キコニアのGMはプレイヤーを想定していないのだから心の中で考えていることや主観をプレイヤーに誤認させようとする道理がない。
つまり、うみねこにおいては一部のキャラクターの主観は「プレイヤーをミスリーディングさせる信用できない語り手」であったが、キコニアにおいては「全てのキャラクターが心の中だけで考えていることは本心である可能性が高い」と思われる。
このように考えると、うみねこ咲とキコニアが同時発売であったのは非常に頷ける。美しい対照形の構造でありながら、作品としての根幹部分には通底するものがある。
と美しい構造になっているが、単に「煉獄山を超え天国より上のエンピレオから地の底のコキュートスに突き落とされる」をやりたかったがための同時発売の可能性もある。陰謀だ!!!
(ついでに妄言だが、うみねこ咲のOPで戦人とベアトのイメージカラーをわざわざ交換してきたのは、様式美にこだわるうみねこ主人公達からの「第一主人公を赤、第二主人公を青で揃えよう!」みたいな後輩への配慮かもしれない……)